Pacta Sunt Servanda

「合意は拘束する」自分自身の学修便宜のため、備忘録ないし知識まとめのブログです。 ブログの性質上、リプライは御期待に沿えないことがあります。記事内容の学術的な正確性は担保致しかねます。 判決文は裁判所ホームページから引用してますが、記事の中ではその旨の言及は割愛いたします。

百選75事件 NHK記者証言拒絶事件(最三小決平成18年10月3日)

 報道関係者の取材源は,一般に,それがみだりに開示されると,報道関係者と取材源となる者との間の信頼関係が損なわれ,将来にわたる自由で円滑な取材活動が妨げられることとなり,報道機関の業務に深刻な影響を与え以後その遂行が困難になると解されるので,取材源の秘密は職業の秘密に当たるというべきである。そして,当該取材源の秘密が保護に値する秘密であるかどうかは,当該報道の内容,性質,その持つ社会的な意義・価値,当該取材の態様,将来における同種の取材活動が妨げられることによって生ずる不利益の内容,程度等と,当該民事事件の内容,性質,その持つ社会的な意義・価値,当該民事事件において当該証言を必要とする程度,代替証拠の有無等の諸事情を比較衡量して決すべきことになる。

 そして,この比較衡量にあたっては,次のような点が考慮されなければならない。

 すなわち,報道機関の報道は,民主主義社会において,国民が国政に関与するにつき,重要な判断の資料を提供し,国民の知る権利に奉仕するものである。したがって,思想の表明の自由と並んで,事実報道の自由は,表現の自由を規定した憲法21条の保障の下にあることはいうまでもない。また,このような報道機関の報道が正しい内容を持つためには,報道の自由とともに,報道のための取材の自由も,憲法21条の精神に照らし,十分尊重に値するものといわなければならない(最高裁昭和44年(し)第68号同年11月26日大法廷決定・刑集23巻11号1490頁参照)。取材の自由の持つ上記のような意義に照らして考えれば,取材源の秘密は,取材の自由を確保するために必要なものとして,重要な社会的価値を有するというべきである。そうすると,当該報道が公共の利益に関するものであって,その取材の手段,方法が一般の刑罰法令に触れるとか,取材源となった者が取材源の秘密の開示を承諾しているなどの事情がなく,しかも,当該民事事件が社会的意義や影響のある重大な民事事件であるため,当該取材源の秘密の社会的価値を考慮してもなお公正な裁判を実現すべき必要性が高く,そのために当該証言を得ることが必要不可欠であるといった事情が認められない場合には,当該取材源の秘密は保護に値すると解すべきであり,証人は,原則として,当該取材源に係る証言を拒絶することができると解するのが相当である。

葛飾ビラ配布事件(最二判平成21年11月30日)

第1 弁護人後藤寛ほか及び被告人本人の各上告趣意のうち,本件被告人の行為をもって刑法130条前段の罪に問うことは憲法21条1項に違反するとの主張について

1 原判決の認定及び記録によれば,本件の事実関係は,次のとおりである。

(1) 本件マンションの構造等

 ア 本件マンションは,東京都葛飾区亀有2丁目所在の地上7階,地下1階建ての鉄筋コンクリート造りの分譲マンションであり,1階部分は4戸の店舗・事務所として,2階以上は40戸の住宅として分譲されている。1階の店舗・事務所部分への出入口と2階以上の住宅部分への出入口とは完全に区分されている。

イ 2階以上の住宅部分への出入口としては,本件マンション西側の北端に設置されたガラス製両開きドアである玄関出入口と,敷地北側部分に設置された鉄製両開き門扉である西側敷地内出入口とがある。住宅部分への出入口である玄関出入口から本件マンションに入ると,玄関ホールがあり,玄関ホールの奥にガラス製両開きドアである玄関内東側ドアがあり,これを開けて,1階廊下を進むと,突き当たりの右手側にエレベーターがあり,左手側に鉄製片開きドアである東側出入口がある。東側出入口から本件マンションの敷地内に出ると,すぐ左手に2階以上に続く階段がある。

(2) 玄関出入口及び玄関ホール内の状況

ア 玄関出入口付近の壁面には警察官立寄所のプレートが,玄関出入口のドアには「防犯カメラ設置録画中」のステッカーがちょう付されていた。

イ 玄関ホール南側には掲示板と集合ポストが,北側には同ホールに隣接する管理人室の窓口があり,掲示板には,A4判大の白地の紙に本件マンションの管理組合(以下「本件管理組合」という。)名義で「チラシ・パンフレット等広告の投函は固く禁じます。」と黒色の文字で記載されたはり紙と,B4判大の黄色地の紙に本件管理組合名義で「当マンションの敷地内に立ち入り,パンフレットの投函,物品販売などを行うことは厳禁です。工事施行,集金などのために訪問先が特定している業者の方は,必ず管理人室で『入退館記録簿』に記帳の上,入館(退館)願います。」と黒色の文字で記載されたはり紙がちょう付されていた。これらのはり紙のちょう付されている位置は,ビラの配布を目的として玄関ホールに立ち入った者には,よく目立つ位置である。

ウ 管理人室の窓口からは,玄関ホールを通行する者を監視することができ,本件管理組合から管理業務の委託を受けた会社が派遣した管理員が,水曜日を除く平日の午前8時から午後5時まで,水曜日と土曜日は午前8時から正午までの間,勤務していた。

(3) 本件マンションの管理組合規約は,本件マンションの共用部分の保安等の業務を管理組合の業務とし,本件管理組合の理事会が同組合の業務を担当すると規定していたところ,同理事会は,チラシ,ビラ,パンフレット類の配布のための立入りに関し,葛飾区の公報に限って集合ポストへの投かんを認める一方,その余については集合ポストへの投かんを含めて禁止する旨決定していた。

(4) 被告人は,平成16年12月23日午後2時20分ころ,日本共産党葛飾区議団だより,日本共産党都議会報告,日本共産党葛飾区議団作成の区民アンケート及び同アンケートの返信用封筒の4種(以下「本件ビラ」という。)を本件マンションの各住戸に配布するために,本件マンションの玄関出入口を開けて玄関ホールに入り,更に玄関内東側ドアを開け,1階廊下を経て,エレベーターに乗って7階に上がり,各住戸のドアポストに,本件ビラを投かんしながら7階から3階までの各階廊下と外階段を通って3階に至ったところを,住人に声をかけられて,本件ビラの投かんを中止した(以下,この本件マンションの廊下等共用部分に立ち入った行為を「本件立入り行為」という。)。当時,被告人は,上記1(2)イの玄関出入口及び玄関ホール内の状況を認識していた。

2 以上の事実関係によれば,本件マンションの構造及び管理状況,玄関ホール内の状況,上記はり紙の記載内容,本件立入りの目的などからみて,本件立入り行為が本件管理組合の意思に反するものであることは明らかであり,被告人もこれを認識していたものと認められる。そして,本件マンションは分譲マンションであり,本件立入り行為の態様は玄関内東側ドアを開けて7階から3階までの本件マンションの廊下等に立ち入ったというものであることなどに照らすと,法益侵害の程度が極めて軽微なものであったということはできず,他に犯罪の成立を阻却すべき事情は認められないから,本件立入り行為について刑法130条前段の罪が成立するというべきである。

3(1) 所論は,本件立入り行為をもって刑法130条前段の罪に問うことは憲法21条1項に違反する旨主張する。

(2) 確かに,表現の自由は,民主主義社会において特に重要な権利として尊重されなければならず,本件ビラのような政党の政治的意見等を記載したビラの配布は,表現の自由の行使ということができる。しかしながら,憲法21条1項も,表現の自由を絶対無制限に保障したものではなく,公共の福祉のため必要かつ合理的な制限を是認するものであって,たとえ思想を外部に発表するための手段であっても,その手段が他人の権利を不当に害するようなものは許されないというべきである最高裁昭和59年(あ)第206号同年12月18日第三小法廷判決・刑集38巻12号3206頁参照)。本件では,表現そのものを処罰することの憲法適合性が問われているのではなく,表現の手段すなわちビラの配布のために本件管理組合の承諾なく本件マンション内に立ち入ったことを処罰することの憲法適合性が問われているところ,本件で被告人が立ち入った場所は,本件マンションの住人らが私的生活を営む場所である住宅の共用部分であり,その所有者によって構成される本件管理組合がそのような場所として管理していたもので,一般に人が自由に出入りすることのできる場所ではない。たとえ表現の自由の行使のためとはいっても,そこに本件管理組合の意思に反して立ち入ることは,本件管理組合の管理権を侵害するのみならず,そこで私的生活を営む者の私生活の平穏を侵害するものといわざるを得ない。したがって,本件立入り行為をもって刑法130条前段の罪に問うことは,憲法21条1項に違反するものではない。このように解することができることは,当裁判所の判例(昭和41年(あ)第536号同43年12月18日大法廷判決・刑集22巻13号1549頁,昭和42年(あ)第1626号同45年6月17日大法廷判決・刑集24巻6号280頁)の趣旨に徴して明らかである(最高裁平成17年(あ)第2652号同20年4月11日第二小法廷判決・刑集62巻5号1217頁参照)。所論は理由がない。

第2 その余の主張について

 弁護人後藤寛ほかの上告趣意のうち,憲法21条1項の解釈の誤りをいう点は,原判決は所論のような趣旨を判示したものではないから前提を欠き,最高裁昭和43年(あ)第837号同48年4月25日大法廷判決・刑集27巻3号418頁を引用して判例違反をいう点は,事案を異にする判例を引用するものであって,本件に適切でなく,その余は,憲法31条違反,判例違反をいう点を含め,実質は単なる法令違反,事実誤認の主張であり,被告人本人の上告趣意は,憲法14条,31条違反をいう点を含め,実質は単なる法令違反,事実誤認の主張であって,いずれも刑訴法405条の上告理由に当たらない。よって,同法408条により,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。

百選63事件 立川テント村事件(最二判平成20年4月11日)

(2) 前記1の立川宿舎の各号棟の構造及び出入口の状況,その敷地と周辺土地や道路との囲障等の状況,その管理の状況等によれば,各号棟の1階出入口から各室玄関前までの部分は,居住用の建物である宿舎の各号棟の建物の一部であり,宿舎管理者の管理に係るものであるから,居住用の建物の一部として刑法130条にいう「人の看守する邸宅」に当たるものと解され,また,各号棟の敷地のうち建築物が建築されている部分を除く部分は,各号棟の建物に接してその周辺に存在し,かつ,管理者が外部との境界に門塀等の囲障を設置することにより,これが各号棟の建物の付属地として建物利用のために供されるものであることを明示していると認められるから,上記部分は,「人の看守する邸宅」の囲にょう地として,邸宅侵入罪の客体になるものというべきである(最高裁昭和49年(あ)第736号同51年3月4日第一小法廷判決・刑集30巻2号79頁参照)。

(2) 確かに,表現の自由は,民主主義社会において特に重要な権利として尊重されなければならず,被告人らによるその政治的意見を記載したビラの配布は,表現の自由の行使ということができるしかしながら,憲法21条1項も,表現の自由を絶対無制限に保障したものではなく,公共の福祉のため必要かつ合理的な制限を是認するものであって,たとえ思想を外部に発表するための手段であっても,その手段が他人の権利を不当に害するようなものは許されないというベきである(最高裁昭和59年(あ)第206号同年12月18日第三小法廷判決・刑集38巻12号3026頁参照)。本件では,表現そのものを処罰することの憲法適合性が問われているのではなく,表現の手段すなわちビラの配布のために「人の看守する邸宅」に管理権者の承諾なく立ち入ったことを処罰することの憲法適合性が問われているところ,本件で被告人らが立ち入った場所は,防衛庁の職員及びその家族が私的生活を営む場所である集合住宅の共用部分及びその敷地であり,自衛隊防衛庁当局がそのような場所として管理していたもので,一般に人が自由に出入りすることのできる場所ではない。たとえ表現の自由の行使のためとはいっても,このような場所に管理権者の意思に反して立ち入ることは,管理権者の管理権を侵害するのみならず,そこで私的生活を営む者の私生活の平穏を侵害するものといわざるを得ない。したがって,本件被告人らの行為をもって刑法130条前段の罪に問うことは,憲法21条1項に違反するものではない。このように解することができることは,当裁判所の判例(昭和41年(あ)第536号同43年12月18日大法廷判決・刑集22巻13号1549頁,昭和42年(あ)第1626号同45年6月17日大法廷判決・刑集24巻6号280頁)の趣旨に徴して明らかである。所論は理由がない。

百選74事件 公立図書館図書廃棄事件(最一判平成17年7月14日)

 4 しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。

(1) 図書館は,「図書,記録その他必要な資料を収集し,整理し,保存して,一般公衆の利用に供し,その教養,調査研究,レクリエーション等に資することを目的とする施設」であり(図書館法2条1項),「社会教育のための機関」であって(社会教育法9条1項),国及び地方公共団体が国民の文化的教養を高め得るような環境を醸成するための施設として位置付けられている(同法3条1項,教育基本法7条2項参照)。公立図書館は,この目的を達成するために地方公共団体が設置した公の施設である(図書館法2条2項,地方自治法244条,地方教育行政の組織及び運営に関する法律30条)。そして,図書館は,図書館奉仕(図書館サービス)のため,①図書館資料を収集して一般公衆の利用に供すること,②図書館資料の分類排列を適切にし,その目録を整備することなどに努めなければならないものとされ(図書館法3条),特に,公立図書館については,その設置及び運営上の望ましい基準が文部科学大臣によって定められ,教育委員会に提示するとともに一般公衆に対して示すものとされており(同法18条),平成13年7月18日に文部科学大臣によって告示された「公立図書館の設置及び運営上の望ましい基準」(文部科学省告示第132号)は,公立図書館の設置者に対し,同基準に基づき,図書館奉仕(図書館サービス)の実施に努めなければならないものとしている。同基準によれば,公立図書館は,図書館資料の収集,提供等につき,①住民の学習活動等を適切に援助するため,住民の高度化・多様化する要求に十分に配慮すること,②広く住民の利用に供するため,情報処理機能の向上を図り,有効かつ迅速なサービスを行うことができる体制を整えるよう努めること,③住民の要求に応えるため,新刊図書及び雑誌の迅速な確保並びに他の図書館との連携・協力により図書館の機能を十分発揮できる種類及び量の資料の整備に努めることなどとされている。

 公立図書館の上記のような役割,機能等に照らせば,公立図書館は,住民に対して思想,意見その他の種々の情報を含む図書館資料を提供してその教養を高めること等を目的とする公的な場ということができる。そして,公立図書館の図書館職員は,公立図書館が上記のような役割を果たせるように,独断的な評価や個人的な好みにとらわれることなく,公正に図書館資料を取り扱うべき職務上の義務を負うものというべきであり,閲覧に供されている図書について,独断的な評価や個人的な好みによってこれを廃棄することは,図書館職員としての基本的な職務上の義務に反するものといわなければならない。

(2) 他方,公立図書館が,上記のとおり,住民に図書館資料を提供するための公的な場であるということは,そこで閲覧に供された図書の著作者にとって,その思想,意見等を公衆に伝達する公的な場でもあるということができる。したがって,公立図書館の図書館職員が閲覧に供されている図書を著作者の思想や信条を理由とするなど不公正な取扱いによって廃棄することは,当該著作者が著作物によってその思想,意見等を公衆に伝達する利益を不当に損なうものといわなければならない。そして,著作者の思想の自由,表現の自由憲法により保障された基本的人権であることにもかんがみると,公立図書館において,その著作物が閲覧に供されている著作者が有する上記利益は,法的保護に値する人格的利益であると解するのが相当であり,公立図書館の図書館職員である公務員が,図書の廃棄について,基本的な職務上の義務に反し,著作者又は著作物に対する独断的な評価や個人的な好みによって不公正な取扱いをしたときは,当該図書の著作者の上記人格的利益を侵害するものとして国家賠償法上違法となるというべきである。

(3) 前記事実関係によれば,本件廃棄は,公立図書館である船橋市西図書館の本件司書が,上告人A会やその賛同者等及びその著書に対する否定的評価と反感から行ったものというのであるから,上告人らは,本件廃棄により,上記人格的利益を違法に侵害されたものというべきである。

5 したがって,これと異なる見解に立って,上告人らの被上告人に対する請求を棄却すべきものとした原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は,上記の趣旨をいうものとして理由があり,原判決のうち被上告人に関する部分は破棄を免れない。そして,本件については,更に審理を尽くさせる必要があるから,上記部分につき本件を原審に差し戻すこととする。

靖国合祀違憲訴訟(大阪地判平成21年2月26日) 

(2) これを本件においてみると,原告らは,被告靖國神社に対し,被告靖國神社が所有する霊璽簿等から,本件戦没者の氏名を抹消すること及び慰謝料の支払を求めているところ,それらの訴訟物は人格権に基づく妨害排除請求権及び不法行為に基づく損害賠償請求権であるから,本件紛争は,原告らと被告靖國神社との間の,具体的な権利義務の存否に関する紛争であるということができる。

 また,裁判所は,原告らの権利又は法律上保護される利益の存否及びその侵害の存否の判断に際して,被告靖國神社の信教の自由との関連について検討する必要があるものの,それについては本案において問題にすれば足りるところ,本件紛争に関しては,後記2で判示するとおり,被告靖國神社の宗教上の教義の解釈について判断する必要はないのであるから,本件紛争は,法令の適用による終局的な解決が可能な紛争であるということができる。

 したがって,原告らの被告靖國神社に対する請求は,当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であって,かつ,それが法令の適用により終局的に解決することができるものであり,法律上の争訟に該当するということができる。

 

 しかし,原告らの主張する「自己イメージ」というものは,人に対する社会的評価であるところの名誉や,外形的な情報であって社会的評価が可能なプライバシーと比べても,余りにも主観的かつ抽象的なものであって,その概念が示す範囲自体画定し難く,内容も,もともと無限定である上,外部からの統制なしに形成し得ることもあって,無制限に膨らみ得るものであり,かように,概念が確立されておらず,その内容及び外延が判然とせず,社会に定着していない「自己イメージ」を,名誉やプライバシーの概念を媒介にしないで直接の法的保護の対象とすることはそもそも困難であるといわざるを得ないし,自己情報を規律する権利といわれるものにおいても未だ概念が定着していないだけでなく,遺族との関係に関する情報までその中に含まれるかについては議論が全く進んでいない状況にあるのであって,上記「自己イメージ」を中核とする感情に法的利益を認めることは困難である。

 また,人は社会的な存在であって,他者からイメージを付与されることが不可避であるところ,故人に対して縁のある他者が抱くイメージも多々存在するものであり,故人に対する遺族のイメージのみを,法的に保護すべきものであるとは考えられない。

 そうすると,名誉権の侵害及びプライバシーの利益の侵害を具体的に主張していない原告らの主張する人格権の中核となる敬愛追慕の情は,結局のところ,前記第2,3(6)における【原告らの主張】の内容からすると,被告靖國神社による本件戦没者の合祀という宗教的行為による不快の心情ないし被告靖國神社に対する嫌悪の感情と評価するほかなく,これをもって直ちに損害賠償請求や差止請求を導く法的利益として認めることができない。

白山比め神社御鎮座二千百年式年大祭奉賛会損害賠償請求事件(最高裁平成22年7月22日)

2 原審の適法に確定した事実関係等の概要は,次のとおりである。

(1) 本件神社は,全国に多数存在する白山神社の総社として市内に所在する神社であり,宗教法人である。本件神社は,古来からその存在が知られており,例年多数の初詣の参詣客が訪れるとともに,平素に訪れる参詣客等も相当多数に上っている。また,本件神社が所在する白山周辺地域については,その観光資源の保護開発及び観光諸施設の整備を目的とする財団法人B協会が設けられている。

(2) 本件神社では,鎮座2100年を記念して,平成20年10月に5日間にわたり御鎮座二千百年式年大祭(以下「本件大祭」という。)が行われることとなり,同17年,本件大祭に係る諸事業の奉賛を目的とする団体として同大祭奉賛会(以下「奉賛会」という。)が発足した。奉賛会の規約では,上記の目的が掲げられたほか,事業内容として,本件大祭の斎行,本件神社の諸施設の工事等が挙げられていた。

(3) 平成17年6月,市内の一般の施設である「C」で開かれた奉賛会の発会式(以下「本件発会式」という。)に,当時市長の職にあったDは来賓として招かれ,職員の運転する公用車を使って出席し,祝辞を述べた。本件発会式の式次第は,開会の辞,会長あいさつ,来賓祝辞,役員紹介,来賓紹介,事業計画説明,宮司御礼の言葉,乾杯及びあいさつ並びに閉会の辞というものであり,関係者約120名が出席し,約40分ほどで終了した。

(4) 市の主務課長は,専決により,本件発会式への上記出席に伴う勤務に係る部分を含む上記運転職員の時間外勤務手当につき支出命令をし,当該手当の支出がされた。

3 原審は,上記事実関係等の下において次のとおり判断し,被上告人の請求を一部認容した。

 奉賛会の事業は,本件神社の宗教上の祭祀である本件大祭を奉賛する宗教活動であり,本件発会式は,上記宗教活動を遂行するために,その意思を確認し合い,奉賛会の発足と活動の開始を宣明する目的で開催されたものである。そして,その当時市長の職にあったDが本件発会式に出席して祝辞を述べた行為は,上記宗教活動につき賛同,賛助及び祝賀の趣旨を表明し,ひいては本件神社の宗教上の祭祀である本件大祭を奉賛し祝賀する趣旨を表明したものと解されるから,市長としての社会的儀礼の範囲を逸脱している。したがって,その当時市長の職にあった同人の上記行為は,その目的が宗教的意義を持ち,かつ,その効果が特定の宗教に対する援助,助長,促進になる行為であり,憲法20条3項の禁止する宗教的活動に当たり,前記時間外勤務手当のうち上記行為に伴う部分の支出は違法である。そして,その当時市長の職にあった同人は,当該支出を阻止すべき指揮監督上の義務に違反し,故意又は過失によりこれを阻止しなかったものとして,市に対し,上記支出相当額の損害を賠償する義務を負う。

4 しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。

 前記事実関係等によれば,本件大祭は本件神社の鎮座2100年を記念する宗教上の祭祀であり,本件発会式は本件大祭に係る諸事業の奉賛を目的とする奉賛会の発会に係る行事であるから,これに出席して祝辞を述べる行為が宗教とのかかわり合いを持つものであることは否定し難い

 他方で,前記事実関係等によれば,本件神社には多数の参詣客等が訪れ,その所在する白山周辺地域につき観光資源の保護開発及び観光諸施設の整備を目的とする財団法人が設けられるなど,地元にとって,本件神社は重要な観光資源としての側面を有していたものであり,本件大祭は観光上重要な行事であったというべきである。奉賛会は,このような性質を有する行事としての本件大祭に係る諸事業の奉賛を目的とする団体であり,その事業自体が観光振興的な意義を相応に有するものであって,その発会に係る行事としての本件発会式も,本件神社内ではなく,市内の一般の施設で行われ,その式次第は一般的な団体設立の式典等におけるものと変わらず,宗教的儀式を伴うものではなかったものである。そして,Dはこのような本件発会式に来賓である地元の市長として招かれ,出席して祝辞を述べたものであるところ,その祝辞の内容が,一般の儀礼的な祝辞の範囲を超えて宗教的な意味合いを有するものであったともうかがわれない。

 そうすると,当時市長の職にあったDが本件発会式に出席して祝辞を述べた行為は,市長が地元の観光振興に尽力すべき立場にあり,本件発会式が上記のような観光振興的な意義を相応に有する事業の奉賛を目的とする団体の発会に係る行事であることも踏まえ,このような団体の主催する当該発会式に来賓として招かれたのに応じて,これに対する市長としての社会的儀礼を尽くす目的で行われたものであり,宗教的色彩を帯びない儀礼的行為の範囲にとどまる態様のものであって,特定の宗教に対する援助,助長,促進になるような効果を伴うものでもなかったというべきである。したがって,これらの諸事情を総合的に考慮すれば,Dの上記行為は,宗教とのかかわり合いの程度が,我が国の社会的,文化的諸条件に照らし,信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものとは認められず,憲法上の政教分離原則及びそれに基づく政教分離規定に違反するものではないと解するのが相当である。

 以上の点は,当裁判所大法廷判決(最高裁昭和46年(行ツ)第69号同52年7月13日判決・民集31巻4号533頁,最高裁平成4年(行ツ)第156号同9年4月2日判決・民集51巻4号1673頁,最高裁平成19年(行ツ)第260号同22年1月20日判決・民集64巻1号登載予定等)の趣旨に徴して明らかというべきである。

5 以上によれば,これと異なる原審の前記判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は理由があり,原判決のうち上告人の敗訴部分は破棄を免れない。そして,前記説示によれば,上記部分に関する被上告人の請求は理由がなく,これを棄却した第1審判決は正当であるから,上記部分につき被上告人の控訴を棄却すべきである。

百選52事件 市有地の神社無償提供事件(最大判平成22年1月20日)

 憲法89条は,公の財産を宗教上の組織又は団体の使用,便益若しくは維持のため,その利用に供してはならない旨を定めている。その趣旨は,国家が宗教的に中立であることを要求するいわゆる政教分離の原則を,公の財産の利用提供等の財政的な側面において徹底させるところにあり,これによって,憲法20条1項後段の規定する宗教団体に対する特権の付与の禁止を財政的側面からも確保し,信教の自由の保障を一層確実なものにしようとしたものである。しかし,国家と宗教とのかかわり合いには種々の形態があり,およそ国又は地方公共団体が宗教との一切の関係を持つことが許されないというものではなく,憲法89条も,公の財産の利用提供等における宗教とのかかわり合いが,我が国の社会的,文化的諸条件に照らし,信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものと認められる場合に,これを許さないとするものと解される。

 国又は地方公共団体が国公有地を無償で宗教的施設の敷地としての用に供する行為は,一般的には,当該宗教的施設を設置する宗教団体等に対する便宜の供与として,憲法89条との抵触が問題となる行為であるといわなければならない。もっとも,国公有地が無償で宗教的施設の敷地としての用に供されているといっても,当該施設の性格や来歴,無償提供に至る経緯,利用の態様等には様々なものがあり得ることが容易に想定されるところである。例えば,一般的には宗教的施設としての性格を有する施設であっても,同時に歴史的,文化財的な建造物として保護の対象となるものであったり,観光資源,国際親善,地域の親睦の場などといった他の意義を有していたりすることも少なくなく,それらの文化的あるいは社会的な価値や意義に着目して当該施設が国公有地に設置されている場合もあり得よう。また,我が国においては,明治初期以来,一定の社寺領を国等に上知(上地)させ,官有地に編入し,又は寄附により受け入れるなどの施策が広く採られたこともあって,国公有地が無償で社寺等の敷地として供される事例が多数生じた。このような事例については,戦後,国有地につき「社寺等に無償で貸し付けてある国有財産の処分に関する法律」(昭和22年法律第53号)が公布され,公有地についても同法と同様に譲与等の処分をすべきものとする内務文部次官通牒が発出された上,これらによる譲与の申請期間が経過した後も,譲与,売払い,貸付け等の措置が講じられてきたが,それにもかかわらず,現在に至っても,なおそのような措置を講ずることができないまま社寺等の敷地となっている国公有地が相当数残存していることがうかがわれるところである。これらの事情のいかんは,当該利用提供行為が,一般人の目から見て特定の宗教に対する援助等と評価されるか否かに影響するものと考えられるから,政教分離原則との関係を考えるに当たっても,重要な考慮要素とされるべきものといえよう。

 そうすると,国公有地が無償で宗教的施設の敷地としての用に供されている状態が,前記の見地から,信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えて憲法89条に違反するか否かを判断するに当たっては,当該宗教的施設の性格,当該土地が無償で当該施設の敷地としての用に供されるに至った経緯,当該無償提供の態様,これらに対する一般人の評価等,諸般の事情を考慮し,社会通念に照らして総合的に判断すべきものと解するのが相当である。

 以上のように解すべきことは,当裁判所の判例最高裁昭和46年(行ツ)第69号同52年7月13日大法廷判決・民集31巻4号533頁,最高裁平成4年(行ツ)第156号同9年4月2日大法廷判決・民集51巻4号1673頁等)の趣旨とするところからも明らかである。

2 本件利用提供行為の憲法適合性

 (1) 前記事実関係等によれば,本件鳥居,地神宮,「神社」と表示された会館入口から祠に至る本件神社物件は,一体として神道の神社施設に当たるものと見るほかはない。

 また,本件神社において行われている諸行事は,地域の伝統的行事として親睦などの意義を有するとしても,神道の方式にのっとって行われているその態様にかんがみると,宗教的な意義の希薄な,単なる世俗的行事にすぎないということはできない。

 このように,本件神社物件は,神社神道のための施設であり,その行事も,このような施設の性格に沿って宗教的行事として行われているものということができる。

 (2) 本件神社物件を管理し,上記のような祭事を行っているのは,本件利用提供行為の直接の相手方である本件町内会ではなく,本件氏子集団である。本件氏子集団は,前記のとおり,町内会に包摂される団体ではあるものの,町内会とは別に社会的に実在しているものと認められる。そして,この氏子集団は,宗教的行事等を行うことを主たる目的としている宗教団体であって,寄附を集めて本件神社の祭事を行っており,憲法89条にいう「宗教上の組織若しくは団体」に当たるものと解される。

 しかし,本件氏子集団は,祭事に伴う建物使用の対価を町内会に支払うほかは,本件神社物件の設置に通常必要とされる対価を何ら支払うことなく,その設置に伴う便益を享受している。すなわち,本件利用提供行為は,その直接の効果として,氏子集団が神社を利用した宗教的活動を行うことを容易にしているものということができる。

 (3) そうすると,本件利用提供行為は,市が,何らの対価を得ることなく本件各土地上に宗教的施設を設置させ,本件氏子集団においてこれを利用して宗教的活動を行うことを容易にさせているものといわざるを得ず,一般人の目から見て,市が特定の宗教に対して特別の便益を提供し,これを援助していると評価されてもやむを得ないものである。前記事実関係等によれば,本件利用提供行為は,もともとは小学校敷地の拡張に協力した用地提供者に報いるという世俗的,公共的な目的から始まったもので,本件神社を特別に保護,援助するという目的によるものではなかったことが認められるものの,明らかな宗教的施設といわざるを得ない本件神社物件の性格,これに対し長期間にわたり継続的に便益を提供し続けていることなどの本件利用提供行為の具体的態様等にかんがみると,本件において,当初の動機,目的は上記評価を左右するものではない。

 (4) 以上のような事情を考慮し,社会通念に照らして総合的に判断すると,本件利用提供行為は,市と本件神社ないし神道とのかかわり合いが,我が国の社会的,文化的諸条件に照らし,信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものとして,憲法89条の禁止する公の財産の利用提供に当たり,ひいては憲法20条1項後段の禁止する宗教団体に対する特権の付与にも該当すると解するのが相当である。

第3 職権による検討

1 本件は,被上告人らが地方自治法242条の2第1項3号に基づいて提起した住民訴訟であり,被上告人らは,前記のとおり政教分離原則との関係で問題とされざるを得ない状態となっている本件各土地について,上告人がそのような状態を解消するため使用貸借契約を解除し,神社施設の撤去を求める措置を執らないことが財産管理上違法であると主張する。

2 本件利用提供行為の現状が違憲であることは既に述べたとおりである。しかしながら,これを違憲とする理由は,判示のような施設の下に一定の行事を行っている本件氏子集団に対し,長期にわたって無償で土地を提供していることによるものであって,このような違憲状態の解消には,神社施設を撤去し土地を明け渡す以外にも適切な手段があり得るというべきである。例えば,戦前に国公有に帰した多くの社寺境内地について戦後に行われた処分等と同様に,本件土地1及び2の全部又は一部を譲与し,有償で譲渡し,又は適正な時価で貸し付ける等の方法によっても上記の違憲性を解消することができる。そして,上告人には,本件各土地,本件建物及び本件神社物件の現況,違憲性を解消するための措置が利用者に与える影響,関係者の意向,実行の難易等,諸般の事情を考慮に入れて,相当と認められる方法を選択する裁量権があると解される。本件利用提供行為に至った事情は,それが違憲であることを否定するような事情として評価することまではできないとしても,解消手段の選択においては十分に考慮されるべきであろう。本件利用提供行為が開始された経緯や本件氏子集団による本件神社物件を利用した祭事がごく平穏な態様で行われてきていること等を考慮すると,上告人において直接的な手段に訴えて直ちに本件神社物件を撤去させるべきものとすることは,神社敷地として使用することを前提に土地を借り受けている本件町内会の信頼を害するのみならず,地域住民らによって守り伝えられてきた宗教的活動を著しく困難なものにし,氏子集団の構成員の信教の自由に重大な不利益を及ぼすものとなることは自明であるといわざるを得ない。さらに,上記の他の手段のうちには,市議会の議決を要件とするものなども含まれているが,そのような議決が適法に得られる見込みの有無も考慮する必要がある。これらの事情に照らし,上告人において他に選択することのできる合理的で現実的な手段が存在する場合には,上告人が本件神社物件の撤去及び土地明渡請求という手段を講じていないことは,財産管理上直ちに違法との評価を受けるものではない。すなわち,それが違法とされるのは,上記のような他の手段の存在を考慮しても,なお上告人において上記撤去及び土地明渡請求をしないことが上告人の財産管理上の裁量権を逸脱又は濫用するものと評価される場合に限られるものと解するのが相当である。

3 本件において,当事者は,上記のような観点から,本件利用提供行為の違憲性を解消するための他の手段が存在するか否かに関する主張をしておらず,原審も当事者に対してそのような手段の有無に関し釈明権を行使した形跡はうかがわれない。しかし,本件利用提供行為の違憲性を解消するための他の手段があり得ることは,当事者の主張の有無にかかわらず明らかというべきである。また,原審は,本件と併行して,本件と当事者がほぼ共通する市内の別の神社(T神社)をめぐる住民訴訟を審理しており,同訴訟においては,市有地上に神社施設が存在する状態を解消するため,市が,神社敷地として無償で使用させていた市有地を町内会に譲与したことの憲法適合性が争われていたところ,第1,2審とも,それを合憲と判断し,当裁判所もそれを合憲と判断するものである(最高裁平成19年(行ツ)第334号)。原審は,上記訴訟の審理を通じて,本件においてもそのような他の手段が存在する可能性があり,上告人がこうした手段を講ずる場合があることを職務上知っていたものである。

 そうすると,原審が上告人において本件神社物件の撤去及び土地明渡請求をすることを怠る事実を違法と判断する以上は,原審において,本件利用提供行為の違憲性を解消するための他の合理的で現実的な手段が存在するか否かについて適切に審理判断するか,当事者に対して釈明権を行使する必要があったというべきである。

 原審が,この点につき何ら審理判断せず,上記釈明権を行使することもないまま,上記の怠る事実を違法と判断したことには,怠る事実の適否に関する審理を尽くさなかった結果,法令の解釈適用を誤ったか,釈明権の行使を怠った違法があるものというほかない。

第4 結論

 以上によれば,本件利用提供行為を違憲とした原審の判断は是認することができるが,上告人が本件神社物件の撤去請求をすることを怠る事実を違法とした判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。そこで,原判決を職権で破棄し,本件利用提供行為の違憲性を解消するための他の手段の存否等について更に審理を尽くさせるため,本件を原審に差し戻すこととする。

 よって,裁判官今井功,同堀籠幸男の反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官藤田宙靖,同田原睦夫,同近藤崇晴の各補足意見,裁判官甲斐中辰夫,同中川了滋,同古田佑紀,同竹内行夫の意見がある。

 

裁判官藤田宙靖の補足意見は,次のとおりである。

 私は,多数意見に賛成するが,本件利用提供行為が政教分離原則に違反すると考

えられることにつき,以下若干の補足をしておくこととしたい。

1 国又は公共団体が宗教に関係する何らかの活動(不作為をも含む。)をする場合に,それが日本国憲法の定める政教分離原則に違反しないかどうかを判断するに際しての審査基準として,過去の当審判例が採用してきたのは,いわゆる目的効果基準であって,本件においてもこの事実を無視するわけには行かない。ただ,この基準の採用の是非及びその適用の仕方については,当審の従来の判例に反対する見解も学説中にはかなり根強く存在し,また,過去の当審判決においても一度ならず反対意見が述べられてきたところでもあるから,このことを踏まえた上で,現在の時点でこの問題をどう考えるかについては,改めて慎重な検討をしておかなければならない。

 この基準を採用することへの批判としては,周知のように,当審においてこの基準が最初に採用された「津地鎮祭訴訟判決」(最高裁昭和46年(行ツ)第69号同52年7月13日大法廷判決・民集31巻4号533頁)における5裁判官の反対意見と並,「愛媛玉串料訴訟判決」(最高裁平成4年(行ツ)第156号同9年4月2日大法廷判決・民集51巻4号1673頁)における高橋,尾崎両裁判官の意見がある。とりわけ,尾崎意見における指摘,すなわち,日本国憲法政教分離規定の趣旨につき津地鎮祭訴訟判決において多数意見が出発点とした「憲法は,信教の自由を無条件に保障し,更にその保障を一層確実なものとするため,政教分離規定を設けたものであり,これを設けるに当たっては,国家と宗教との完全な分離を理想とし,国家の非宗教性ないし宗教的中立性を確保しようとしたものである」という考え方を前提とすれば,「国家と宗教との完全分離を原則とし,完全分離が不可能であり,かつ,分離に固執すると不合理な結果を招く場合に限って,例外的に国家と宗教とのかかわり合いが憲法上許容されるとすべきもの」と考えられる,という指摘については,私もまた,これが本来筋の通った理論的帰結であると考える。これに対して,これまでの当審判例の多数意見が採用してきた上記の目的効果基準によれば,憲法上の政教分離原則は「国家が宗教とのかかわり合いを持つことを全く許さないとするものではなく,宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的及び効果に鑑み,そのかかわり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超える場合に(初めて)これを許さないとするもの」であるということになるが(括弧内は藤田による補足),このように,いわば原則と例外を逆転させたかにも見える結論を導くについて,従来の多数意見は必ずしも充分な説明をしておらず,そこには論理の飛躍がある,という上記の尾崎意見の指摘には,首肯できるものがあるように思われる。

 ただ,目的効果基準の採用に対するこのような反対意見にあっても,国家と宗教の完全な分離に対する例外が許容されること自体が全く否定されるものではないのであり,また,これらの見解において例外が認められる「完全分離が不可能であり,かつ分離に固執すると不合理な結果を招く場合」に当たるか否かを検討するに際して,目的・効果についての考慮を全くせずして最終的判断を下せるともいい切れないように思われるのであって,問題は結局のところ,「そのかかわり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超える」か否かの判断に際しての「国家の宗教的中立性」の評価に関する基本的姿勢ないし出発点の如何に懸ることになるともいうことができよう。このように考えるならば,仮に,理論的には上記意見に理由があると考えるとしても,本件において,敢えて目的効果基準の採用それ自体に対しこれを全面的に否定するまでの必要は無いものと考える。但し,ここにいう目的効果基準の具体的な内容あるいはその適用の在り方については,慎重な配慮が必要なのであって,当該事案の内容を十分比較検討することなく,過去における当審判例上の文言を金科玉条として引用し,機械的に結論を導くようなことをしてはならない。こういった見地から,本件において注意しなければならないのは,例えば以下のような点である。

2 本件において合憲性が問われているのは,多数意見にも述べられているように,取り立てて宗教外の意義を持つものではない純粋の神道施設につき,地方公共団体が公有地を単純にその敷地として提供しているという事実である。私の見るところ,過去の当審判例上,目的効果基準が機能せしめられてきたのは,問題となる行為等においていわば「宗教性」と「世俗性」とが同居しておりその優劣が微妙であるときに,そのどちらを重視するかの決定に際してであって(例えば,津地鎮祭訴訟,箕面忠魂碑訴訟等は,少なくとも多数意見の判断によれば,正にこのようなケースであった。),明確に宗教性のみを持った行為につき,更に,それが如何なる目的をもって行われたかが問われる場面においてではなかったということができる(例えば,公的な立場で寺社に参拝あるいは寄進をしながら,それは,専ら国家公安・国民の安全を願う目的によるものであって,当該宗教を特に優遇しようという趣旨からではないから,憲法にいう「宗教的活動」ではない,というような弁明を行うことは,上記目的効果基準の下においても到底許されるものとはいえない。

 例えば愛媛玉串料訴訟判決は,このことを示すものであるともいえよう。)。本件の場合,原審判決及び多数意見が指摘するとおり,本件における神社施設は,これといった文化財や史跡等としての世俗的意義を有するものではなく,一義的に宗教施設(神道施設)であって,そこで行われる行事もまた宗教的な行事であることは明らかである(五穀豊穣等を祈るというのは,正に神事の目的それ自体であって,これをもって「世俗的目的」とすることは,すなわち「神道は宗教に非ず」というに等しい。)。従って,本件利用提供行為が専ら特定の純粋な宗教施設及び行事(要するに「神社」)を利する結果をもたらしていること自体は,これを否定することができないのであって,地鎮祭における起工式(津地鎮祭訴訟),忠魂碑の移設のための代替地貸与並びに慰霊祭への出席行為(箕面忠魂碑訴訟),さらには地蔵像の移設のための市有地提供行為等(大阪地蔵像訴訟)とは,状況が明らかに異なるといわなければならない(これらのケースにおいては,少なくとも多数説は,地鎮祭,忠魂碑,地蔵像等の純粋な宗教性を否定し,何らかの意味での世俗性を認めることから,それぞれ合憲判断をしたものである。)。その意味においては,本件における憲法問題は,本来,目的効果基準の適用の可否が問われる以前の問題であるというべきである。

3 もっとも,原審認定事実等によれば,本件神社は,それ自体としては明らかに純粋な神道施設であると認められるものの,他方において,その外観,日々の宗教的活動の態様等からして,さほど宗教施設としての存在感の大きいものであるわけではなく,それゆえにこそ,市においてもまた,さして憲法上の疑義を抱くこともなく本件利用提供行為を続けてきたのであるし,また,被上告人らが問題提起をするまでは,他の市民の間において殊更にその違憲性が問題視されることも無かった,というのが実態であったようにもうかがわれる。従って,仮にこの点を重視するならば,少なくとも,本件利用提供行為が,直ちに他の宗教あるいはその信者らに対する圧迫ないし脅威となるとまではいえず(現に,例えば,本件氏子集団の役員らはいずれも仏教徒であることが認定されている。),これをもって敢えて憲法違反を問うまでのことはないのではないかという疑問も抱かれ得るところであろう。そして,全国において少なからず存在すると考えられる公有地上の神社施設につき,かなりの数のものは,正にこれと類似した状況にあるのではないか,とも推測されるのである。このように,本件における固有の問題は,一義的に特定の宗教のための施設であれば(すなわち問題とすべき「世俗性」が認められない以上)地域におけるその存在感がさして大きなものではない(あるいはむしろ希薄ですらある)ような場合であっても,そのような施設に対して行われる地方公共団体の土地利用提供行為をもって,当然に憲法89条違反といい得るか,という点にあるというべきであろう。

 ところで,上記のような状況は,その教義上排他性の比較的希薄な伝統的神道の特色及び宗教意識の比較的薄い国民性等によってもたらされている面が強いように思われるが,いうまでもなく,政教分離の問題は,対象となる宗教の教義の内容如何とは明確に区別されるべき問題であるし,また,ある宗教を信じあるいは受容している国民の数ないし割合が多いか否かが政教分離の問題と結び付けられるべきものではないことも,明らかであるといわなければならない。憲法89条が,過去の我が国における国家神道下で他宗教が弾圧された現実の体験に鑑み,個々人の信教の自由の保障を全うするため政教分離を制度的に(制度として)保障したとされる趣旨及び経緯を考えるとき,同条の定める政教分離原則に違反するか否かの問題は,必ずしも,問題とされている行為によって個々人の信教の自由が現実に侵害されているか否かの事実によってのみ判断されるべきものではないのであって,多数意見が本件利用提供行為につき「一般人の目から見て,市が特定の宗教に対して特別の便益を提供し,これを援助していると評価されてもやむを得ないものである」と述べるのは,このような意味において正当というべきである。

4 なお,本件において違憲性が問われているのは,直接には,市が公有地上にある本件神社施設を撤去しないという不作為についてである(当初市が神社施設の存する本件土地を取得したこと自体が違憲であるというならば,その行為自体が無効であって,そもそも本件土地は公有地とは認められないということにもなりかねないが,被上告人原告)らはこのような主張をするものではない。)。この場合,その不作為を直ちに解消することが期待し得ないような特別の事情(例えば,施設の撤去自体が他方で信教の自由に極めて重大な打撃を与える結果となることが見込まれるとか,敷地の民有化に向け可能な限りの努力をしてきたものの,歴史的経緯等種々の原因から未だ成功していない等々の事情が考えられようか。)がある場合に,現に公有地上に神社施設が存在するという事実が残っていること自体をもって直ちに違憲というべきか否かは,なお検討の余地がある問題であるといえなくはなかろう。しかし,本件において,上告人(被告)はこのような特別の事情の存在については一切主張・立証するところがなく,むしろ,そういった事情の存在の有無を問うまでもなく本件利用提供行為は合憲であるとの前提に立っていることは明らかであるから,この点については,原審の釈明義務違反を問うまでもなく,多数意見のように,本件利用提供行為が憲法89条に違反すると判断されるのもやむを得ないところといわなければならない。