Pacta Sunt Servanda

「合意は拘束する」自分自身の学修便宜のため、備忘録ないし知識まとめのブログです。 ブログの性質上、リプライは御期待に沿えないことがあります。記事内容の学術的な正確性は担保致しかねます。 判決文は裁判所ホームページから引用してますが、記事の中ではその旨の言及は割愛いたします。

百選23事件 とらわれの聴衆(大阪高判昭和58年5月31日)

(二)我々は法律の規定をまつまでもなく,日常生活において見たくない物を見ない、聞きたくない音を聞かないといつた類の自由を本来有している。しかし、右の自由も、我々が個人の各種の自由の衝突の場である社会の一員として生活する以上、絶対不可侵のものではなく、他人の各種の自由と調和する限度においてのみ法的な保護を受けるにすぎない。したがつて、原判決認定の本件放送が「控訴人の人格権を著しく侵害する違法なもの」であるか否かについては、本件放送のなされるに至つた事情、その態様、そのもたらす結果などを総合的に勘案してこれを決するほかはない。 
 これを本件についてみると、地下鉄の利用関係は基本的には私法関係であり、その一方当事者である被控訴人はその運行する地下鉄の車内において列車の運行や乗客の利用などのために必要な放送のみならず、法令及び社会的に相当と認められる範囲内においてその他の放送をも行なう自由を有するものと考えられる。そして、本件放送は財政窮乏下にある被控訴人が地下鉄の運行の安全確保などのために採用した車内放送自動化の費用を捻出するため実施するに至つたものであり、地下鉄の車内という公共の場で行なわれているとはいえ、原審も認定するように、昭和五一年一二月以前は原判決添付別紙(二)の車内放送基準に基づき実施され、その内容は例を示せば同(三)のとおりであつて、商業宣伝放送としては比較的控え目なものであり、昭和五二年一月以降のそれは同別紙(四)、(五)のとおりで商業宣伝放送としてはさらに控え目なものである。また、本件放送は、一部の限られた乗客に対するものであるが、降車駅案内という乗客にとり必要で有益な放送としての面をも有するのであつて、いずれも一般乗客に対しそれ程の嫌悪感を与えるものとは思われない。これらのことを総合勘案すれば、原審認定の本件における事実関係のもとにおいては、右(一)認定の事実を考慮しても、本件放送は、原審も認定判断するようにこれを違法なものと断定することはできない
 してみれば、控訴人の人格権に基づく本件放送の差止の請求及び不法行為に基づく損害賠償の請求は、その余の点につき判断するまでもなく理由がない。