Pacta Sunt Servanda

「合意は拘束する」自分自身の学修便宜のため、備忘録ないし知識まとめのブログです。 ブログの性質上、リプライは御期待に沿えないことがあります。記事内容の学術的な正確性は担保致しかねます。 判決文は裁判所ホームページから引用してますが、記事の中ではその旨の言及は割愛いたします。

不当利得返還請求事件(最二判平成18年11月27日)

 オ 被上告人大学の主張によれば,上告人の母は,平成16年3月26日に被上告人大学に電話をかけた際に,上告人が他の大学から補欠合格の連絡を受けたが,被上告人大学への入学を辞退できるか,辞退した場合,授業料は返してもらえるかを問い合わせたというのである。そして,上記電話に応対した被上告人大学の職員は,授業料の返還を受けるための入学辞退届は同月25日必着で提出しなければならない旨及び入学式に出席しなければ入学辞退として取り扱う旨同人に述べたこと,上告人は,同年4月2日の被上告人大学の入学式に欠席することによって本件在学契約を解除する旨の意思表示をしたことは,上記のとおりである。そして,本件において,前記(1)クにおいて説示する原則と異なる事情も証拠上うかがわれないから,同年3月31日までの在学契約の解除については,被上告人大学に生ずべき平均的な損害はなく,本件不返還特約は無効であるところ,上記のような事実関係によれば,被上告人大学の職員の上告人の母に対する上記発言により,上告人は,既に入学辞退を決めていたのに,その手続を3月31日まで執らずに4月2日の入学式に欠席することにより済まそうとしたものと推認され,結果的に上告人において同年3月31日までに本件在学契約を解除する機会を失わせたものというべきであるから,被上告人大学において,本件在学契約が同年4月1日以降に解除されたことを理由に,本件不返還特約が有効である旨主張して本件授業料の返還を拒むことは許されないものというべきである。そうすると,被上告人大学は,上告人に対し,本件授業料80万円を返還する義務を負う。

所有権移転登記手続等請求事件(最一判21年4月23日)

 区分所有建物について,老朽化等によって建替えの必要が生じたような場合に,大多数の区分所有者が建替えの意思を有していても一部の区分所有者が反対すれば建替えができないということになると,良好かつ安全な住環境の確保や敷地の有効活用の支障となるばかりか,一部の区分所有者の区分所有権の行使によって,大多数の区分所有者の区分所有権の合理的な行使が妨げられることになるから,1棟建替えの場合に区分所有者及び議決権の各5分の4以上の多数で建替え決議ができる旨定めた区分所有法62条1項は,区分所有権の上記性質にかんがみて,十分な合理性を有するものというべきである。そして,同法70条1項は,団地内の各建物の区分所有者及び議決権の各3分の2以上の賛成があれば,団地内区分所有者及び議決権の各5分の4以上の多数の賛成で団地内全建物一括建替えの決議ができるものとしているが,団地内全建物一括建替えは,団地全体として計画的に良好かつ安全な住環境を確保し,その敷地全体の効率的かつ一体的な利用を図ろうとするものであるところ,区分所有権の上記性質にかんがみると,団地全体では同法62条1項の議決要件と同一の議決要件を定め,各建物単位では区分所有者の数及び議決権数の過半数を相当超える議決要件を定めているのであり,同法70条1項の定めは,なお合理性を失うものではないというべきである。また,団地内全建物一括建替えの場合,1棟建替えの場合と同じく,上記のとおり,建替えに参加しない区分所有者は,売渡請求権の行使を受けることにより,区分所有権及び敷地利用権を時価で売り渡すこととされているのであり(同法70条4項,63条4項),その経済的損失については相応の手当がされているというべきである。

 (3) そうすると,規制の目的,必要性,内容,その規制によって制限される財産権の種類,性質及び制限の程度等を比較考量して判断すれば,区分所有法70条は,憲法29条に違反するものではない。このことは,最高裁平成12年(オ)第1965号,同年(受)第1703号同14年2月13日大法廷判決・民集56巻2号331頁の趣旨に徴して明らかである。論旨は採用することができない。

市議会委員会の傍聴拒否事件(大阪地判平成19年2月16日)

 このように,様々な意見,知識,情報に接し,これを摂取する自由は,民主主義社会において,代表者による政治が国民(住民)の批判にさらされ,民意に基づく審議を可能にするための重要な一手段ということができるのである。しかるところ,住民は,地方議会の会議の内容を広く見聞することにより,議会の活動状況や議員の行動等を知ることができ,ひいては次の選挙における投票行動を決定することができるようになるのであるから,住民が地方議会の会議を傍聴することは,住民が地方公共団体の政治に関与するに当たり,重要な判断の資料を提供するものというべきである。そうすると,住民が地方議会の会議を傍聴する自由は,前記のとおり,憲法上地方議会の会議の公開が制度的に保障されていることの結果にとどまらず,様々な意見,知識,情報に接し,これを摂取する自由の派生原理としても認められるものというべきである。そして,前記のとおり,今日においては,地方自治法及びその委任を受けた条例により規定された委員会制度の下において,各委員会における議案等の予備審査等が,本会議における審議と同程度に,あるいは,それ以上に,地方議会における審議の中心となっていることが認められるのであるから,このことをもしんしゃくすれば,住民が地方議会の委員会の会議を傍聴する自由も,本会議を傍聴する自由と同様の趣旨で,様々な意見,知識,情報に接し,これを摂取する自由の派生原理として尊重されるべきものということができる。

 もっとも,前記のとおり,地方議会の委員会は,議案についての最終的な意思決定を行ういわゆる本会議とは異なり,議案等の予備審査等を行う内部機関として地方自治法及びこれに基づく条例の規定により設けられているものにすぎず,憲法もその会議の公開はもとよりその設置自体についてもこれを制度として保障していないことにかんがみると,住民が地方議会の委員会の会議を傍聴する自由については,他者の人権と衝突する場合にはそれとの調整を図る上において,又はこれに優越する公共の利益が存在する場合にはそれを確保する必要から,一定の合理的制限を受けることがあることはやむを得ないものとして,憲法自体がそのことを予定していると解されるのであり,このような観点から委員会傍聴の許否の要件,手続等をどのように定めるかについては,条例の定めにゆだねられているものと解するのが相当である。そして,このような観点から条例において地方議会の委員会の傍聴を制限する旨の規定を設けた場合において,当該制限規定が憲法21条1項に適合して是認されるものであるかどうかは,当該規定の目的の正当性並びにその目的達成の手段として傍聴を制限することの合理性及び必要性を総合的に考慮して判断すべきである。

 カ 以上のとおり,地方議会の委員会においては,本会議における会議,すなわち,最終的な意思決定のための審議及び表決の準備のために,専門的,技術的な審査等を行う内部機関としての性格上,自由かつ率直な審議の場を確保してその審査及び調査の充実を図ることは,それ自体重要な公益ということができるのであって,このような観点から個々の住民の委員会の会議を傍聴する自由が制限を受けることとなってもやむを得ないというべきところ,本件条例12条1項は,議員以外の者に委員会の傍聴をさせることが,当該委員会において自由かつ率直な審議の場を確保してその審査及び調査の充実を図る観点から適当か否かの判断を,委員会の秩序保持権を有する委員長の判断にゆだねたものであるから,同項の目的は正当かつ合理的なものということができる上,その目的を達成する手段としての合理性及び必要性を肯定することもできる。

 キ したがって,本件条例12条1項の規定が,議員以外の者の委員会の傍聴を委員長の許否の判断にゆだねていることは,国民(住民)の様々な意見,知識,情報に接し,これを摂取する自由が尊重されるものとした憲法21条1項に反するものではないというべきである。

 ところで,前記のとおり,各人が様々な意見,知識,情報に接し,これを摂取する自由は,表現の自由を保障した憲法21条1項の趣旨,目的から,いわばその派生原理として当然に導かれるところであり,その自由は,民主主義社会において,代表者による政治が国民(住民)の批判にさらされ,民意に基づく審議を可能にするための重要な一手段ということができるのである。このことに加えて,会議場の場所的制約にもかんがみると,報道機関が地方議会の会議を傍聴する自由というのは,国民(住民)の知る権利(情報等に接し,これを摂取する自由)に奉仕するものとして,個々の住民の傍聴の自由以上に重要な意味を有するということができ,取材の自由の派生原理として十分尊重に値するものというべきである。

 そうであるとすれば,報道機関の有する取材の自由にかんがみても,委員会において自由かつ率直な審議の場を確保してその審査及び調査の充実を図る観点から,当該委員会の傍聴を当該委員会の委員長の許否の判断にゆだねることの合理性及び必要性について,個々の住民の傍聴の場合と報道の任務に当たる者の傍聴の場合とで異なって解すべき根拠を見いだせず,したがって,本件条例12条1項の規定が,報道の任務に当たる者についても,委員会の傍聴を委員長の許否の判断にゆだねていることは,憲法21条1項に反するものではないものというべきである。

 前記のとおり,報道機関の報道は,民主主義社会において,国民が国政に関与するにつき,重要な判断の資料を提供するものであって,事実の報道の自由は,表現の自由を保障した憲法21条の保障の下にあることはいうまでもなく,このような報道機関の報道が正しい内容をもつためには,報道の自由とともに,報道のための取材の自由も,憲法21条の精神に照らし,十分尊重に値するものである。本件条例12条1項に基づく委員長の委員会の傍聴の許否の判断における裁量権の行使に当たって,報道の公共性,ひいては報道のための取材の自由に対する配慮に基づき,報道機関の記者(報道の任務に当たる者)をそれ以外の一般の住民に対して優先して傍聴させるという取扱いをすることは,地方政治の報道の重要性に照らせば,合理性を欠く措置ということはできず,憲法14条1項に違反しないものというべきである(最高裁昭和63年オ第436号平成元年3月8日大法廷判決・民集43巻2号89頁参照)。本件先例は,上記の趣旨の運用基準を定めたものと解されるから,憲法14条1項に違反しないものというべきである。

 そして,上記のような本件条例12条1項の規定の運用により,報道機関(報道の任務に当たる者)以外の個々の住民の委員会を傍聴する自由が制限されることとなるとしても,これら一般の住民は,委員会の傍聴を認められた報道機関による当該委員会の会議に係る事実の報道等を通じて,当該委員会の活動状況や議員の行動等を知ることが可能ということができるのであり,他方で,このような報道活動を通じて,住民の間に世論が形成され,民意に基づく審議が可能となるということができるから,憲法21条1項に違反するということはできない

 しかるところ,前記のとおり,報道機関による委員会の傍聴は,報道機関が会議を見聞し,その事実を報道することによって,住民が地方議会の活動状況や議員の行動等を知ることを可能にし,それによって民意の形成に寄与し,ひいては民意に基づく議会の審議が可能になり,民主的基盤に立脚した地方公共団体の行政の健全な運営に資するという機能を有するものであり,このような報道機関の報道の有する機能,公共性等にかんがみ,本件条例12条1項に基づく委員長の委員会傍聴の許否の判断に当たり,会議場の場所的制約の下において,報道機関(報道の任務に当たる者)をそれ以外の一般の住民に優先して,すなわち,これら住民の委員会の会議を傍聴する自由の制限と引き換えに,傍聴させる取扱いをすることの合理性を肯定することができるのである。そうすると,委員会の会議を傍聴した報道機関によりその会議に係る誤った事実又は不正確な事実が報道されたような場合には,当該報道に接した住民がその報道内容が真実であると誤解し,委員会の活動状況や議員の行動等についての正確な事実認識を踏まえた公正な民意の形成が阻害され,そのために委員会における十分な審査及び調査の遂行に支障を来す事態を招来する可能性も一概に否定することができない。そして,委員会における審査及び調査は,法制上は,地方議会の本会議における最終的な意思決定の準備のための内部的な手続にすぎないものの,地方自治法及びその委任を受けた条例により規定された委員会制度の下において,各委員会における議案等の予備審査等が,本会議における審議を充実させ,適切な表決を迅速に行うことを可能にするための重要な手続として位置付けられ,機能していることにかんがみれば,委員会における十分な審査及び調査の遂行が妨げられることにより,ひいては本会議において充実した審議の上適切な表決を迅速に行うことを阻害する結果をもたらすことにもなりかねず,その弊害は住民全体の利益にかかわるものであり,しかも,報道機関の報道が住民に与えた印象は容易に払拭し難いことをも併せ考えれば,その弊害の程度は決して軽視することはできないものというべきである。以上説示したような委員会の会議に係る事実の報道の重要性,公共性,誤った事実又は不正確な事実の報道が地方行政にもたらす弊害の大きさ等にかんがみると,本件条例12条1項に基づく委員長の委員会傍聴の許否についての判断に当たり,委員会の会議に係る事実を正確に報道することのできる能力,資質を備えた報道機関に限って委員会の傍聴を認める取扱いをすることは,その必要性及び合理性を十分肯定することができる。のみならず,前記のような委員会の議会における組織上,手続上の位置付け並びに議会の議事手続における委員会の議案についての審査及び調査の意義ないし重要性にかんがみると,その会議に係る事実について誤った又は不正確な報道がされることによる弊害を排除する必要性はより大きいというべきである。

 このような観点からすれば,本件条例12条1項に基づく委員長の委員会傍聴の許否についての判断に当たり,委員会の会議に係る事実を正確に報道することのできる能力,資質を備えない報道機関に委員会を傍聴させた場合に生じ得る上記のような弊害にかんがみ,報道機関に委員会の会議に係る事実を正確に報道することのできる能力,資質が制度的に担保されていると認められるための基準をあらかじめ設定し,当該基準に従って一律に報道機関の委員会傍聴の許否を判断する取扱いをすることも,その基準が合理的なものである限り,必要やむを得ないものとしてその必要性,合理性を肯定せざるを得ないというべきである。そして,その結果,当該基準に該当しないものの,上記のような能力,資質を備えた報道機関が委員会の傍聴を認められないことがあっても,上記のとおり当該能力,資質を個別具体的に判断することの困難性,誤って当該能力,資質を欠く報道機関に傍聴を認めた場合に生じ得る弊害の大きさ等にかんがみると,やむを得ないものというべきであり,既に説示したような地方議会の委員会の傍聴の自由の内容,性質に加えて,委員会の傍聴における報道機関の優先的な地位が本件条例12条1項に基づく委員長の裁量権の合理的な行使の結果として付与されるものであることにもかんがみると,憲法21条1項に違反するということはできない

 これらの認定事実によれば,大阪市記者クラブは,同クラブに所属する報道機関ないし記者の取材ないし報道活動を自主的に規律する私的な団体であるということができるところ,前記認定の規約の規定内容に加えて,加盟者である各報道機関の報道に係る読者ないし視聴者の規模等にもかんがみると,同クラブに所属する報道機関ないしその記者の間における相互規制等を通じて報道に係る一定の行為規範,価値基準が共有され,それによって事実の正確な報道が担保され,しかも,その存在意義について相当数の国民(住民)から支持されていると推認され,報道分野において重要な役割を果たしているということができるから,同クラブ所属の報道機関ないしその記者は,委員会の会議に係る事実を正確に報道することのできる能力,資質を備えた者であることが,相当の根拠をもって担保されているものということができる。そうであるとすれば,大阪市記者クラブに所属する記者であるか否かという基準は,委員会の傍聴を希望する報道機関ないしその記者に前記の能力,資質が制度的に担保されていると認められるための基準として,十分合理的なものということができる。

 カ 以上検討したところによれば,委員長が,本件条例12条1項に基づく委員会の傍聴の許否の判断に当たり,本件先例に依拠して,原則として大阪市記者クラブ所属の記者にのみ傍聴を許可するという運用をすることは,憲法21条1項に違反するということはできず,また,合理的な理由なくして同クラブに所属する記者とそれ以外の報道機関ないし記者を差別するものとして憲法14条1項に違反するということもできない

 しかしながら,前記1及び2で説示したとおり,委員長が,本件条例12条1項に基づく委員会の傍聴の許否の判断に当たり,本件先例に依拠して,原則として大阪市記者クラブ所属の記者にのみ傍聴を許可するという運用をすることは,憲法21条1項,14条1項に違反するということはできないのであり,本件不許可処分をした村尾委員長の判断も,結局のところ,このような運用に従ってされたものである(前記前提となる事実等(5)参照)から,本件不許可処分は,憲法21条1項,14条1項に違反するということはできない。

 しかるところ,前記前提となる事実等(5)及び弁論の全趣旨によれば,本件不許可処分は,本件委員会の各派代表者会議に諮った上,本件先例に依拠した原則的取扱いとする意向が多数であったことを踏まえて行われたものであると認められ,その理由も文書(甲2)により原告に告知されている事実が認められる。このことに加えて,前記のとおり,原告のような報道機関ないしその記者が委員会の会議に係る事実を正確に報道することのできる能力,資質を備えたものであるか否かを個別具体的に判断することが事柄の性質上極めて困難であり,たとい原告が客観的にみてそのような資質,能力を備えたものであると認められるとしても,今後大阪市記者クラブに所属しない報道機関ないし記者から同種の傍聴希望が出された場合に,本件委員会や大阪市会のその他の委員会(委員長)において上記のような困難な判断を強いられる事態も考えられなくはない。しかるところ,本件先例は,正に,誤って上記のような能力,資質を欠く報道機関に傍聴を認めた場合に生じ得る弊害の大きさ等にかんがみ,上記のような事態を避けるべく,委員会の傍聴を希望する報道機関に上記のような能力,資質が制度的に確保されていると認められるための基準として,大阪市記者クラブに所属する記者であるか否かという基準を設定し,原則として当該基準に適合する報道機関ないし記者にのみ委員会の傍聴を許可する取扱いを定めたものである。これらにかんがみると,村尾委員長が上記のような例外的取扱いをせずに本件不許可処分をしたことが,本件条例12条1項により委員長に付与された裁量権の範囲を逸脱し,又はこれを濫用したものということはできない。

参議院議員定数配分規定の合憲性(最大判平成21年9月30日)

3 憲法は,選挙権の内容の平等,換言すれば,議員の選出における各選挙人の投票の有する影響力の平等,すなわち投票価値の平等を要求していると解される。しかしながら,憲法は,どのような選挙制度が国民の利害や意見を公正かつ効果的に国政に反映させることになるのかの決定を国会の裁量にゆだねているのであるから,投票価値の平等は,選挙制度の仕組みを決定する唯一,絶対の基準となるものではなく,参議院の独自性など,国会が正当に考慮することができる他の政策的目的ないし理由との関連において調和的に実現されるべきものである。それゆえ,国会が具体的に定めたところがその裁量権の行使として合理性を是認し得るものである限り,それによって投票価値の平等が一定の限度で譲歩を求められることになっても,憲法に違反するとはいえない

 上記2(1)において指摘した参議院議員選挙制度の仕組みは,憲法二院制を採用し参議院の実質的内容ないし機能に独特の要素を持たせようとしたこと,都道府県が歴史的にも政治的,経済的,社会的にも独自の意義と実体を有し一つの政治的まとまりを有する単位としてとらえ得ること,憲法46条が参議院議員については3年ごとにその半数を改選すべきものとしていること等に照らし,相応の合理性を有するものであり,国会の有する裁量権の合理的な行使の範囲を超えているとはいえない。そして,社会的,経済的変化の激しい時代にあって不断に生ずる人口の変動につき,それをどのような形で選挙制度の仕組みに反映させるかなどの問題は,複雑かつ高度に政策的な考慮と判断を要するものであって,その決定は,基本的に国会の裁量にゆだねられているものである。しかしながら,人口の変動の結果,投票価値の著しい不平等状態が生じ,かつ,それが相当期間継続しているにもかかわらずこれを是正する措置を講じないことが,国会の裁量権の限界を超えると判断される場合には,当該議員定数配分規定が憲法に違反するに至るものと解するのが相当である。

 以上は,最高裁昭和54年(行ツ)第65号同58年4月27日大法廷判決・民集37巻3号345頁(以下「昭和58年大法廷判決」という。)以降の参議院(地方選出ないし選挙区選出)議員選挙に関する累次の大法廷判決の趣旨とするところでもあって,基本的な判断枠組みとしてこれを変更する必要は認められない。

 そして,当裁判所は,昭和58年大法廷判決以降,参議院議員通常選挙の都度,上記の判断枠組みに従い参議院議員定数配分規定の合憲性について判断してきたが,平成4年7月26日施行の参議院議員通常選挙当時の最大較差1対6.59について違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態が生じていた旨判示したものの,いずれの場合についても,結論において,各選挙当時,参議院議員定数配分規定は憲法に違反するに至っていたものとすることはできない旨判示してきたところである。しかし,人口の都市部への集中が続き,最大較差1対5前後が常態化する中で,平成16年大法廷判決及び最高裁平成17年(行ツ)第247号同18年10月4日大法廷判決・民集60巻8号2696頁においては,上記の判断枠組み自体は基本的に維持しつつも,投票価値の平等をより重視すべきであるとの指摘や,較差是正のため国会における不断の努力が求められる旨の指摘がされ,また,不平等を是正するための措置が適切に行われているかどうかといった点をも考慮して判断がされるようになるなど,実質的にはより厳格な評価がされてきているところである。

4 上記の見地に立って,本件選挙当時の本件定数配分規定の合憲性について検討する。

 参議院では,前記2(4)のとおり,平成16年大法廷判決中の指摘を受け,当面の是正措置を講ずる必要があるとともに,その後も定数較差の継続的な検証調査を進めていく必要があると認識された。本件改正は,こうした認識の下に行われたものであり,その結果,平成17年10月実施の国勢調査結果による人口に基づく選挙区間における議員1人当たりの人口の最大較差は,1対4.84に縮小することとなった。また,本件選挙は,本件改正の約1年2か月後に本件定数配分規定の下で施行された初めての参議院議員通常選挙であり,本件選挙当時の選挙区間における議員1人当たりの選挙人数の最大較差は1対4.86であったところ,この較差は,本件改正前の参議院議員定数配分規定の下で施行された前回選挙当時の上記最大較差1対5.13に比べて縮小したものとなっていた。本件選挙の後には,参議院改革協議会が設置され,同協議会の下に選挙制度に係る専門委員会が設置されるなど,定数較差の問題について今後も検討が行われることとされている。そして,現行の選挙制度の仕組みを大きく変更するには,後に述べるように相応の時間を要することは否定できないところであって,本件選挙までにそのような見直しを行うことは極めて困難であったといわざるを得ない。

 以上のような事情を考慮すれば,本件選挙までの間に本件定数配分規定を更に改正しなかったことが国会の裁量権の限界を超えたものということはできず,本件選挙当時において,本件定数配分規定が憲法に違反するに至っていたものとすることはできない。  

5 しかしながら,本件改正の結果によっても残ることとなった上記のような較差は,投票価値の平等という観点からは,なお大きな不平等が存する状態であり,選挙区間における選挙人の投票価値の較差の縮小を図ることが求められる状況にあるといわざるを得ない。ただ,前記2(4)の専門委員会の報告書に表れた意見にもあるとおり,現行の選挙制度の仕組みを維持する限り,各選挙区の定数を振り替える措置によるだけでは,最大較差の大幅な縮小を図ることは困難であり,これを行おうとすれば,現行の選挙制度の仕組み自体の見直しが必要となることは否定できないこのような見直しを行うについては,参議院の在り方をも踏まえた高度に政治的な判断が必要であり,事柄の性質上課題も多く,その検討に相応の時間を要することは認めざるを得ないが,国民の意思を適正に反映する選挙制度が民主政治の基盤であり,投票価値の平等が憲法上の要請であることにかんがみると,国会において,速やかに,投票価値の平等の重要性を十分に踏まえて,適切な検討が行われることが望まれる

衆議院小選挙区選挙の選挙区割り・選挙運動に関する公選法規定等の合憲性(最大判平成19年6月13日)

ウ 区画審設置法3条は,1項において,選挙区の改定案の作成につき,選挙区間の人口の最大較差が2倍未満になるように区割りをすることを基本とすべきことを基準として定めており,投票価値の平等に十分な配慮をしていると認められる。その上で,同条は,2項において1人別枠方式を採用したものであるが,この方式は,過疎地域に対する配慮などから,人口の多寡にかかわらず各都道府県にあらかじめ定数1を配分することによって,相対的に人口の少ない県に定数を多めに配分し,人口の少ない県に居住する国民の意見をも十分に国政に反映させることができるようにすることを目的とするものであると解される。前記のとおり,選挙区割りを決定するに当たっては,議員1人当たりの選挙人数又は人口ができる限り平等に保たれることが,最も重要かつ基本的な基準であるが,国会はそれ以外の諸般の要素をも考慮することができるのであって,都道府県は選挙区割りをするに際して無視することができない基礎的な要素の一つであり,人口密度や地理的状況等のほか,人口の都市集中化及びこれに伴う人口流出地域の過疎化の現象等にどのような配慮をし,選挙区割りや議員定数の配分にこれらをどのように反映させるかという点も,国会において考慮することができる要素というべきである。1人別枠方式を含む同条所定の選挙区割りの基準は,国会が以上のような要素を総合的に考慮して定めたものと評価することができるのであって,これをもって投票価値の平等との関係において国会の裁量の範囲を逸脱するものということはできないから,上記基準が憲法14条1項等の憲法の規定に違反するものということはできない。このことは,前掲平成11年11月10日各大法廷判決の判示するところであって,これを変更する必要は認められない。

エ 前記事実関係等によれば,本件区割規定は,区画審が平成12年国勢調査の結果に基づき作成した改定案のとおり小選挙区選挙の選挙区割りが改定されたものであるところ,平成12年国勢調査による人口を基にすると,本件区割規定の下における選挙区間の人口の最大較差は1対2.064であり,9選挙区において人口が最も少ない選挙区と比較して人口較差が2倍以上となっていたというのである。区画審設置法3条1項は,区画審が作成する選挙区の改定案について,選挙区間の人口の最大較差が2倍以上とならないようにすることを基本としなければならない旨規定しているが,上記の基準は,選挙区間の人口の最大較差が2倍以上となることを一切許さない趣旨のものではなく,同条2項が定める1人別枠方式による各都道府県への定数の配分を前提とした上で,行政区画,地勢,交通等の事情を総合的に考慮して合理的に区割りを行い,選挙区間の人口の最大較差ができるだけ2倍未満に収まるように区割りが行われるべきことを定めたものと解される。同条の趣旨は上記のとおりであり,結果的に見ても,平成12年国勢調査による人口を基にした本件区割規定の下での選挙区間の人口の最大較差は1対2.064と1対2を極めてわずかに超えるものにすぎず,最も人口の少ない選挙区と比較した人口較差が2倍以上となった選挙区は9選挙区にとどまるものであったというのであるから,区画審が作成した上記の改定案が直ちに同条所定の基準に違反するものであるということはできない。そして,同条所定の基準自体に憲法に違反するところがないことは前記のとおりであるから,国会が上記の改定案のとおり選挙区割りを改定して本件区割規定を定めたことが投票価値の平等との関係において国会の裁量の範囲を逸脱するものであるということはできない。また,前記事実関係等によれば,本件選挙当日における選挙区間の選挙人数の最大較差は1対2.171であったというのであるから,本件選挙施行時における選挙区間の投票価値の不平等が,一般に合理性を有するものとは考えられない程度に達し,憲法の投票価値の平等の要求に反する程度に至っていたということもできない

オ そうすると,本件区割規定は,それが定められた当時においても,本件選挙施行時においても,憲法14条1項等の憲法の規定に違反するものということはできない。

(略)

ウ 公職選挙法の規定によれば,小選挙区選挙においては,候補者のほかに候補者届出政党にも選挙運動を認めることとされているのであるが,政党その他の政治団体にも選挙運動を認めること自体は,選挙制度を政策本位,政党本位のものとするという国会が正当に考慮することのできる政策的目的ないし理由に合致するものであって,十分合理性を是認し得るものである。もっとも,同法86条1項1号,2号が,候補者届出政党になり得る政党等を国会議員を5人以上有するもの又は直近のいずれかの国政選挙における得票率が2%以上であったものに限定し,このような実績を有しない政党等は候補者届出政党になることができないものとしている結果,選挙運動の上でも,政党等の間に一定の取扱い上の差異が生ずることは否めない。しかしながら,このような候補者届出政党の要件は,国民の政治的意思を集約するための組織を有し,継続的に相当な活動を行い,国民の支持を受けていると認められる政党等が,小選挙区選挙において政策を掲げて争うにふさわしいものであるとの認識の下に,政策本位,政党本位の選挙制度をより実効あらしめるために設けられたと解されるのであり,そのような立法政策を採ることには相応の合理性が認められ,これが国会の裁量権の限界を超えるものとは解されない

 そして,候補者と並んで候補者届出政党にも選挙運動を認めることが是認される以上,候補者届出政党に所属する候補者とこれに所属しない候補者との間に選挙運動の上で差異を生ずることは避け難いところであるから,その差異が合理性を有するとは考えられない程度に達している場合に,初めてそのような差異を設けることが国会の裁量の範囲を逸脱するというべきである。自動車,拡声機,文書図画等を用いた選挙運動や新聞広告,演説会等についてみられる選挙運動上の差異は,候補者届出政党にも選挙運動を認めたことに伴って不可避的に生ずるということができる程度のものであり,候補者届出政党に所属しない候補者も,自ら自動車,拡声機,文書図画等を用いた選挙運動や新聞広告,演説会等を行うことができるのであって,それ自体が選挙人に政見等を訴えるのに不十分であるとは認められないことにかんがみれば,上記のような選挙運動上の差異を生ずることをもって,国会の裁量の範囲を超え,憲法に違反するとは認め難い。もっとも,公職選挙法150条1項によれば,政見放送については,候補者届出政党にのみ認められているものである。ラジオ放送又はテレビジョン放送を利用しての政見放送は,他の選挙運動の手段と比較して,はるかに多くの有権者に対しその政見を伝達することができるものであり,しかも,その政見放送においては候補者の紹介をすることもできることを考えると,政見放送を候補者届出政党にのみ認めることは,候補者届出政党に所属する候補者とこれに所属しない候補者との間に単なる程度の違いを超える差異をもたらすものといわざるを得ない。しかしながら,同項が小選挙区選挙における政見放送を候補者届出政党にのみ認めることとしたのは,候補者届出政党の選挙運動に関する他の規定と同様に,選挙制度を政策本位,政党本位のものとするという合理性を有する立法目的によるものであり,また,政見放送は選挙運動の一部を成すにすぎず,その余の選挙運動については候補者届出政党に所属しない候補者も十分に行うことができるのであって,その政見等を選挙人に訴えるのに不十分とはいえないこと,小選挙区選挙に立候補したすべての候補者に政見放送の機会を均等に与えることには実際上多くの困難を伴うことは否定し難いことなどにかんがみれば,小選挙区選挙における政見放送を候補者届出政党にのみ認めていることの一事をもって,選挙運動に関する規定における候補者間の差異が合理性を有するとは考えられない程度に達しているとまで断ずることはできず,これをもって国会の合理的裁量の限界を超えているものということはできない

エ したがって,小選挙区選挙の選挙運動に関する公職選挙法の規定が憲法14条1項等の憲法の規定に違反するとはいえない。このことは,前掲最高裁平成11年(行ツ)第35号大法廷判決の判示するところであって,これを変更する必要は認められない。

精神的障碍をもつ人と投票権(最一判平成18年7月13日)

(2)憲法における選挙権保障の趣旨にかんがみれば,国民の選挙権の行使を制限することは原則として許されず,国には,国民が選挙権を行使することができない場合,そのような制限をすることなしには選挙の公正の確保に留意しつつ選挙権の行使を認めることが事実上不可能ないし著しく困難であると認められるときでない限り,国民の選挙権の行使を可能にするための所要の措置を執るべき責務があるというべきである(上記大法廷判決参照)。このことは,国民が精神的原因によって投票所において選挙権を行使することができない場合についても当てはまる。しかし,精神的原因による投票困難者については,その精神的原因が多種多様であり,しかもその状態は必ずしも固定的ではないし,療育手帳に記載されている総合判定も,身体障害者手帳に記載されている障害の程度や介護保険の被保険者証に記載されている要介護状態区分等とは異なり,投票所に行くことの困難さの程度と直ちに結び付くものではない。したがって,精神的原因による投票困難者は,身体に障害がある者のように,既存の公的な制度によって投票所に行くことの困難性に結び付くような判定を受けているものではないのである。しかも,前記事実関係等によれば,身体に障害がある者の選挙権の行使については長期にわたって国会で議論が続けられてきたが,精神的原因による投票困難者の選挙権の行使については,本件各選挙までにおいて,国会でほとんど議論されたことはなく,その立法措置を求める地方公共団体の議会等の意見書も,本件訴訟の第1審判決後に初めて国会に提出されたというのであるから,少なくとも本件各選挙以前に,精神的原因による投票困難者に係る投票制度の拡充が国会で立法課題として取り上げられる契機があったとは認められない

(3)以上によれば,選挙権が議会制民主主義の根幹を成すものであること等にかんがみ(上記大法廷判決参照),精神的原因による投票困難者の選挙権行使の機会を確保するための立法措置については,今後国会において十分な検討がされるべきものであるが,本件立法不作為について,国民に憲法上保障されている権利行使の機会を確保するために所要の立法措置を執ることが必要不可欠であり,それが明白であるにもかかわらず,国会が正当な理由なく長期にわたってこれを怠る場合などに当たるということはできないから,本件立法不作為は,国家賠償法1条1項の適用上,違法の評価を受けるものではないというべきである。

広島地判平成20年12月25日

(2)ところで,生活保護を受ける権利は,被保護者自身の最低限度の生活を維持するために当該個人に付与された一身専属的な権利であって,相続の対象になり得ない。また,仮に被保護者の生存中に本来支払うべき給付が支払われていないとしても,当該給付を求める権利は,当該被保護者の最低限度の生活の需要を満たすことを目的とするものであって,法の予定する目的以外に流用することを許さないものであるから,当該被保護者の死亡によって当然消滅し,相続の対象となり得ないと解すべきである。(最高裁大法廷昭和42年5月24日判決・民集21巻5号1043頁参照)

 法8条2項は,厚生労働大臣が保護基準の制定に当たって考慮すべき事情を定めた上,保護基準が,最低限度の生活の需要を満たすに十分なものであって,かつ,これを超えないものであることを要する旨規定するが,同規定が定めるところは抽象的で相対的なものであり,その具体的内容は,文化の発達,国民経済の進展に伴って向上するのはもとより,多数の不確定的要素を総合勘案してはじめて決定できるものであり,このような点にかんがみると,保護基準の制定は,その改定も含めて,厚生労働大臣の合目的的な裁量に委ねられているというべきである(最高裁昭和39年(行ツ)第14号昭和42年5月24日大法廷判決参照)。

 しかし,一般に,保護基準の改定は,その新規の制定とは異なり,既に制定されていた保護基準を変更するものであり,そもそも改定前の保護基準は,厚生労働大臣が法8条2項所定の要件を充足する基準として制定したものである。しかも,後記認定のとおり,本件保護基準改定前の老齢加算母子加算及び多人数世帯扶助基準額に関する保護基準は,いずれも長年にわたり実施されてきたもので,いわば,厚生労働大臣が法8条2項所定の要件を充足する基準であることを長年にわたり自認してきたものである。加えて,本件保護基準改定は,このような保護基準を保護受給者に不利益に変更するものである。上記の各点及び保護基準の改定が厚生労働大臣の裁量に委ねられている趣旨にかんがみれば,本件保護基準改定についての厚生労働大臣の裁量の幅は,その新規の制定におけるそれよりも狭く,本件保護基準改定における厚生労働大臣の判断過程に看過し難い事実の誤認や事実の評価の誤り等の不合理な点があり,上記判断がこれに依拠してされたと認められる場合には,厚生労働大臣の上記判断に不合理な点があり,同判断に基づく本件保護基準改定は裁量権を濫用又は逸脱したものとして,違法であり,これに基づく本件各決定もまた違法であると解すべきである(最高裁昭和60年(行ツ)第133号平成4年10月29日第一小法廷判決参照)。そして,上記の不合理な点があったことを基礎付ける事実は,厚生労働大臣裁量権の濫用又は逸脱のあったことの根拠事実であるから,その主張,立証責任は原告らが負うこととなる。

 以上によれば,主文第1項の訴えは当然に終了したものと宣し,同2項の請求に基づく訴えは,いずれも不適法であるから,これらを却下することとし,原告ら(主文第1項の原告らを除く。)及び承継参加人のその余の請求は,いずれも理由がないから,これらを棄却することとし,主文のとおり判決する。