Pacta Sunt Servanda

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百選108事件 河川附近地制限令事件(最大判昭和43年11月27日)

 よつて按ずるに、河川附近地制限令四条二号の定める制限は、河川管理上支障のある事態の発生を事前に防止するため、単に所定の行為をしょうとする場合には知事の許可を受けることが必要である旨を定めているにすぎず、この種の制限は、公共の福祉のためにする一般的な制限であり、原則的には、何人もこれを受忍すべきものである。このように、同令四条二号の定め自体としては、特定の人に対し、特別に財産上の犠牲を強いるものとはいえないから、右の程度の制限を課するには損失補償を要件とするものではなく、したがつて、補償に関する規定のない同令四条二号の規定が所論のように憲法二九条三項に違反し無効であるとはいえない。これと同趣旨に出た原判決の判断説示は、叙上の見地からいつて、憲法の解釈を誤つたものとはいい得ず、同令四条二号、一〇条の各規定の違憲無効を主張する論旨は、採用しがたい。

 もつとも、本件記録に現われたところによれば、被告人は、名取川の堤外民有地の各所有者に対し賃借料を支払い、労務者を雇い入れ、従来から同所の砂利を採取してきたところ、昭和三四年一二月一一日宮城県告示第六四三号により、右地域が河川附近地に指定されたため、河川附近地制限令により、知事の許可を受けることなくしては砂利を採取することができなくなり、従来、賃借料を支払い、労務者を雇い入れ、相当の資本を投入して営んできた事業が営み得なくなるために相当の損失を被る筋合であるというのである。そうだとすれば、その財産上の犠牲は、公共のために必要な制限によるものとはいえ、単に一般的に当然に受忍すべきものとされる制限の範囲をこえ特別の犠牲を課したものとみる余地が全くないわけではなく、憲法二九条三項の趣旨に照らし、さらに河川附近地制限令一条ないし三条および五条による規制について同令七条の定めるところにより損失補償をすべきものとしていることとの均衡からいつて、本件被告人の被つた現実の損失については、その補償を請求することができるものと解する余地がある。したがつて、仮りに被告人に損失があつたとしても補償することを要しないとした原判決の説示は妥当とはいえない。しかし、同令四条二号による制限について同条に損失補償に関する規定がないからといつて、同条があらゆる場合について一切の損失補償を全く否定する趣旨とまでは解されず、本件被告人も、その損失を具体的に主張立証して、別途、直接憲法二九条三項を根拠にして、補償請求をする余地が全くないわけではないから、単に一般的な場合について、当然に受忍すべきものとされる制限を定めた同令四条二号およびこの制限違反について罰則を定めた同令一〇条の各規定を直ちに違憲無効の規定と解すべきではない。