Pacta Sunt Servanda

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靖国合祀違憲訴訟(大阪地判平成21年2月26日) 

(2) これを本件においてみると,原告らは,被告靖國神社に対し,被告靖國神社が所有する霊璽簿等から,本件戦没者の氏名を抹消すること及び慰謝料の支払を求めているところ,それらの訴訟物は人格権に基づく妨害排除請求権及び不法行為に基づく損害賠償請求権であるから,本件紛争は,原告らと被告靖國神社との間の,具体的な権利義務の存否に関する紛争であるということができる。

 また,裁判所は,原告らの権利又は法律上保護される利益の存否及びその侵害の存否の判断に際して,被告靖國神社の信教の自由との関連について検討する必要があるものの,それについては本案において問題にすれば足りるところ,本件紛争に関しては,後記2で判示するとおり,被告靖國神社の宗教上の教義の解釈について判断する必要はないのであるから,本件紛争は,法令の適用による終局的な解決が可能な紛争であるということができる。

 したがって,原告らの被告靖國神社に対する請求は,当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であって,かつ,それが法令の適用により終局的に解決することができるものであり,法律上の争訟に該当するということができる。

 

 しかし,原告らの主張する「自己イメージ」というものは,人に対する社会的評価であるところの名誉や,外形的な情報であって社会的評価が可能なプライバシーと比べても,余りにも主観的かつ抽象的なものであって,その概念が示す範囲自体画定し難く,内容も,もともと無限定である上,外部からの統制なしに形成し得ることもあって,無制限に膨らみ得るものであり,かように,概念が確立されておらず,その内容及び外延が判然とせず,社会に定着していない「自己イメージ」を,名誉やプライバシーの概念を媒介にしないで直接の法的保護の対象とすることはそもそも困難であるといわざるを得ないし,自己情報を規律する権利といわれるものにおいても未だ概念が定着していないだけでなく,遺族との関係に関する情報までその中に含まれるかについては議論が全く進んでいない状況にあるのであって,上記「自己イメージ」を中核とする感情に法的利益を認めることは困難である。

 また,人は社会的な存在であって,他者からイメージを付与されることが不可避であるところ,故人に対して縁のある他者が抱くイメージも多々存在するものであり,故人に対する遺族のイメージのみを,法的に保護すべきものであるとは考えられない。

 そうすると,名誉権の侵害及びプライバシーの利益の侵害を具体的に主張していない原告らの主張する人格権の中核となる敬愛追慕の情は,結局のところ,前記第2,3(6)における【原告らの主張】の内容からすると,被告靖國神社による本件戦没者の合祀という宗教的行為による不快の心情ないし被告靖國神社に対する嫌悪の感情と評価するほかなく,これをもって直ちに損害賠償請求や差止請求を導く法的利益として認めることができない。