Pacta Sunt Servanda

「合意は拘束する」自分自身の学修便宜のため、備忘録ないし知識まとめのブログです。 ブログの性質上、リプライは御期待に沿えないことがあります。記事内容の学術的な正確性は担保致しかねます。 判決文は裁判所ホームページから引用してますが、記事の中ではその旨の言及は割愛いたします。

百選103事件 奈良県ため池条例事件(最大判昭和38年6月26日)

 一 先ず、本条例制定の趣旨および本件において問題となつている本条例の条項の法意を考えてみるに、記録によると、奈良県においては、一三、〇〇〇に余まるかんがいの用に供する貯水池が存在しているが、県下ならびに他府県下における貯水池の破損、決かい等による災害の事例に徴し、その災害が単に所有者にとどまらず、一般住民および滞在者の生命、財産にまで多大の損傷を及ぼすものてあることにかんがみ、且つ、貯水池の破損、決かいの原因調査による料学的根拠に基づき、本条例を制定公布したものであることを認めることができる。そして、本条例は、「ため池の破損、決かい等に因る災害を未然に防止するため、ため池の管理に関し必要な事項を定めることを目的」(一条)とし、本条例においてため池とは、「かんがいの用に供する貯水池てあつて、えん堤の高さが三米以上のもの又は受益農地面積が一町歩以上のものをいう」(二条一号)とされているところ、本条例四条においては、右一条の目的を達成するため、右二条のため池に関し、何人も「ため池の余水はきの溢流水の流去に障害となる行為」(一号)、「ため池の堤とうに竹木若しくは農作物を植え、又は建物その他の工作物(ため池の保全上必要な工作物を除く。)を設置する行為」(二号)、「前各号に掲げるものの外、ため池の破損又は決かいの原因となる行為」(三号)をしてはならないとすると共に、同九条においては、右「第四条の規定に違反した者は、三万円以下の罰金に処する」ものとしている。すなわち、本条例四条は、ため池の破損、決かい等による災害を防止し、地方公共の秩序を維持し、住民および滞在者の安全を保持するために、ため池に関し、ため池の破損、決かいの原因となるような同条所定の行為をすることを禁止し、これに違反した者は同九条により処罰することとしたものてあつて、結局本条例は、奈良県地方公共団体の条例特定権に基づき、公共の福祉を保持するため、いわゆる行政事務条例として地方自治法二条二項、一四条一項、二項、五項により制定したものであることが認められる。また、本条例三条によれば、国または地方公共団体が管理するため池には同五条ないし八条は適用しないが、しからざるため池には、ひろく本条例が適用されることとなつているから、本条例は、地方自治法二条三項一号、二号の事務に関するものと認められるところ、原判決の認定したところによれば、太件唐古池と称するため池は、周囲の堤とう六反四畝二八歩と共に、登記簿上は、奈良県磯城郡a町大字b居住のA、B両名の所有名義となつているか、実質上は、同大字居住農家の共有ないし総有とみるべきもので、その貯水は、同大字の耕作地のかんかいの用に供され、受益農地面積は、三〇町歩以上に及び、その管理は、同大字の総代が当つているもので、周囲の堤とうは、同大字居住者約二七名において、父祖の代から引き続いて竹、果樹、茶の木その他農作物の裁培に使用し、被告人らもまた同様であつたが、本条例の施行により、被告人らを除く他の者は、任意に栽培を中止したことが認められるというのである。しからば本件ため池は、国または地方公共団体が自ら管理するものでないことが明らかであるから、本条例は、本件に関する限り、地方自治法二条三項一号の事務に関するものであり、また、ため池の破損、決かい令による災害の防止を目的としているから、同法二条三項八号の事務に関するものでもある(原判決が、本件に関し、本条例を同法二条三項二号の事務に関するものとし、これを前提として本条例の違憲、違法をいう点は、前提において誤つている。)。なお、本条例四条各号は、同条項所定の行為をすることを禁止するものであつて、直接には不作為を命ずる規定であるが、同条二号は、ため池の堤とうの使用に関し制限を加えているから、ため池の堤とうを使用する財産上の権利を有する者に対しては、その使用を殆んど全面的に禁止することとなり、同条項は、結局右財産上の権利に著しい制限を加えるものてあるといわなければならない。

 しかし、その制限の内容たるや、立法者が科学的根拠に基づき、ため池の破損、決かいを招く原因となるものと判断した、ため池の堤とうに竹本若しくは農作物を植え、または建物その他の工作物(ため池の保全上必要な工作物を除く)を設置する行為を禁止することであり、そして、このような禁止規定の設けられた所以のものは、本条例一条にも示されているとおり、ため池の破損、決かい等による災害を未然に防止するにあると認められることは、すでに説示したとおりであつて、本条例四条二号の禁止規定は、堤とうを使用する財産上の権利を有する者であると否とを問わず、何人に対しても適用される。ただ、ため池の堤とうを使用する財産上の権利を有する者は、本条例一条の示す目的のため、その財産権の行使を殆んど全面的に禁止されることになるが、それは災害を未然に防止するという社会生活上の已むを得ない必要から来ることであつて、ため池の堤とうを使用する財産上の権利を有する者は何人も、公共の福祉のため、当然これを受忍しなければならない責務を負うというべきである。すなわち、ため池の破損、決かいの原因となるため池の堤とうの使用行為は、憲法でも、民法でも適法な財産権の行使として保障されていないものであつて、憲法民法の保障する財産権の行使の埒外にあるものというべく、従つて、これらの行為を条例をもつて禁止、処罰しても憲法および法律に牴触またはこれを逸脱するものとはいえないし、また右条項に規定するような事項を、既に規定していると認むべき法令は存在していないのであるから、これを条例で定めたからといつて、違憲または違法の点は認められない。更に本条例九条は罰則を定めているが、それが憲法三一条に違反するものでないことは、当裁判所の判例(昭和三一年(あ)第四二八九号、同三七年五月三〇日大法廷判決、刑律一六巻五号五七七頁)の趣旨とするところてある。