Pacta Sunt Servanda

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「エロス+虐殺」事件(東京高決定昭和45年4月13日)

 現行法は人格的利益の侵害に対する救済として、損害賠償ないし原状回復を認めることを原則とするけれども、人格的利益と侵害された被害者は、また、加害者に対して、現に行われている侵害行為の排除を求め、或は将来生ずべき侵害の予防を求める請求権をも有するものというべきである。しかし、人格的利益の侵害が、小説、演劇、映画等によつてなされたとされる場合には、個人の尊厳及び幸福追求の権利の保護と表現の自由(特に言論の自由)の保障との関係に鑑み、いかなる場合に右請求権を認むべきかについて慎重な考慮を要するところである。そうして、一般的には、右請求権の存否は、具体的事案について、被害者が排除ないし予防の措置がなされないままで放置されることによつて蒙る不利益の態様、程度と、侵害者が右の措置によつてその活動の自由を制約されることによつて受ける不利益のそれとを比較衡量して決すべきである。

 右認定の事実によれば、本件映画の中心的素材とされている大杉栄をめぐる抗告人、伊藤野枝らの恋愛的葛藤、及び、いわゆる日蔭茶屋事件は、前記著書等(そのうちには抗告人の著述にかかるものもある)に記載されており、右は主として昭和三〇年頃から昭和四〇年頃にかけて刊行された一般的著作物であるから、右事実は現在においても世上公知のものであるといつて差支えない。しかも、疎明によれば、抗告人は昭和四〇年三月刊行の「私の履歴書第二三集」においても右事件等の概要を記述していることも認められる。一方、右認定の事実によつても、右吉田及び相手方現代映画社が、徒らに抗告人の公開を欲しない私事を暴露し、かつ、事実を歪曲誇張することによつて、大衆の単なる好奇心に媚びようといつたような低劣不当な意図のもとに本件映画を監督製作したとは認められないばかりでなく、本件映画自体も右の如きていのものであるということもできない

 右の次第であつてみれば、本件映画の公開上映によつて、当然に抗告人がその名誉、プライバシー等人格的利益を侵害されるとは、たやすく断じ得ないから、現在抗告人に、本件映画の公開上映を差止めなければならない程度にさしせまつた、しかも回復不可能な重大な損害が生じているものと認めることはできない。従つて、本件において抗告人が第一項記載の請求権を有するものと認めることは困難である。