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靖国合祀違憲訴訟(大阪地判平成21年2月26日) 

(2) これを本件においてみると,原告らは,被告靖國神社に対し,被告靖國神社が所有する霊璽簿等から,本件戦没者の氏名を抹消すること及び慰謝料の支払を求めているところ,それらの訴訟物は人格権に基づく妨害排除請求権及び不法行為に基づく損害賠償請求権であるから,本件紛争は,原告らと被告靖國神社との間の,具体的な権利義務の存否に関する紛争であるということができる。

 また,裁判所は,原告らの権利又は法律上保護される利益の存否及びその侵害の存否の判断に際して,被告靖國神社の信教の自由との関連について検討する必要があるものの,それについては本案において問題にすれば足りるところ,本件紛争に関しては,後記2で判示するとおり,被告靖國神社の宗教上の教義の解釈について判断する必要はないのであるから,本件紛争は,法令の適用による終局的な解決が可能な紛争であるということができる。

 したがって,原告らの被告靖國神社に対する請求は,当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であって,かつ,それが法令の適用により終局的に解決することができるものであり,法律上の争訟に該当するということができる。

 

 しかし,原告らの主張する「自己イメージ」というものは,人に対する社会的評価であるところの名誉や,外形的な情報であって社会的評価が可能なプライバシーと比べても,余りにも主観的かつ抽象的なものであって,その概念が示す範囲自体画定し難く,内容も,もともと無限定である上,外部からの統制なしに形成し得ることもあって,無制限に膨らみ得るものであり,かように,概念が確立されておらず,その内容及び外延が判然とせず,社会に定着していない「自己イメージ」を,名誉やプライバシーの概念を媒介にしないで直接の法的保護の対象とすることはそもそも困難であるといわざるを得ないし,自己情報を規律する権利といわれるものにおいても未だ概念が定着していないだけでなく,遺族との関係に関する情報までその中に含まれるかについては議論が全く進んでいない状況にあるのであって,上記「自己イメージ」を中核とする感情に法的利益を認めることは困難である。

 また,人は社会的な存在であって,他者からイメージを付与されることが不可避であるところ,故人に対して縁のある他者が抱くイメージも多々存在するものであり,故人に対する遺族のイメージのみを,法的に保護すべきものであるとは考えられない。

 そうすると,名誉権の侵害及びプライバシーの利益の侵害を具体的に主張していない原告らの主張する人格権の中核となる敬愛追慕の情は,結局のところ,前記第2,3(6)における【原告らの主張】の内容からすると,被告靖國神社による本件戦没者の合祀という宗教的行為による不快の心情ないし被告靖國神社に対する嫌悪の感情と評価するほかなく,これをもって直ちに損害賠償請求や差止請求を導く法的利益として認めることができない。

白山比め神社御鎮座二千百年式年大祭奉賛会損害賠償請求事件(最高裁平成22年7月22日)

2 原審の適法に確定した事実関係等の概要は,次のとおりである。

(1) 本件神社は,全国に多数存在する白山神社の総社として市内に所在する神社であり,宗教法人である。本件神社は,古来からその存在が知られており,例年多数の初詣の参詣客が訪れるとともに,平素に訪れる参詣客等も相当多数に上っている。また,本件神社が所在する白山周辺地域については,その観光資源の保護開発及び観光諸施設の整備を目的とする財団法人B協会が設けられている。

(2) 本件神社では,鎮座2100年を記念して,平成20年10月に5日間にわたり御鎮座二千百年式年大祭(以下「本件大祭」という。)が行われることとなり,同17年,本件大祭に係る諸事業の奉賛を目的とする団体として同大祭奉賛会(以下「奉賛会」という。)が発足した。奉賛会の規約では,上記の目的が掲げられたほか,事業内容として,本件大祭の斎行,本件神社の諸施設の工事等が挙げられていた。

(3) 平成17年6月,市内の一般の施設である「C」で開かれた奉賛会の発会式(以下「本件発会式」という。)に,当時市長の職にあったDは来賓として招かれ,職員の運転する公用車を使って出席し,祝辞を述べた。本件発会式の式次第は,開会の辞,会長あいさつ,来賓祝辞,役員紹介,来賓紹介,事業計画説明,宮司御礼の言葉,乾杯及びあいさつ並びに閉会の辞というものであり,関係者約120名が出席し,約40分ほどで終了した。

(4) 市の主務課長は,専決により,本件発会式への上記出席に伴う勤務に係る部分を含む上記運転職員の時間外勤務手当につき支出命令をし,当該手当の支出がされた。

3 原審は,上記事実関係等の下において次のとおり判断し,被上告人の請求を一部認容した。

 奉賛会の事業は,本件神社の宗教上の祭祀である本件大祭を奉賛する宗教活動であり,本件発会式は,上記宗教活動を遂行するために,その意思を確認し合い,奉賛会の発足と活動の開始を宣明する目的で開催されたものである。そして,その当時市長の職にあったDが本件発会式に出席して祝辞を述べた行為は,上記宗教活動につき賛同,賛助及び祝賀の趣旨を表明し,ひいては本件神社の宗教上の祭祀である本件大祭を奉賛し祝賀する趣旨を表明したものと解されるから,市長としての社会的儀礼の範囲を逸脱している。したがって,その当時市長の職にあった同人の上記行為は,その目的が宗教的意義を持ち,かつ,その効果が特定の宗教に対する援助,助長,促進になる行為であり,憲法20条3項の禁止する宗教的活動に当たり,前記時間外勤務手当のうち上記行為に伴う部分の支出は違法である。そして,その当時市長の職にあった同人は,当該支出を阻止すべき指揮監督上の義務に違反し,故意又は過失によりこれを阻止しなかったものとして,市に対し,上記支出相当額の損害を賠償する義務を負う。

4 しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。

 前記事実関係等によれば,本件大祭は本件神社の鎮座2100年を記念する宗教上の祭祀であり,本件発会式は本件大祭に係る諸事業の奉賛を目的とする奉賛会の発会に係る行事であるから,これに出席して祝辞を述べる行為が宗教とのかかわり合いを持つものであることは否定し難い

 他方で,前記事実関係等によれば,本件神社には多数の参詣客等が訪れ,その所在する白山周辺地域につき観光資源の保護開発及び観光諸施設の整備を目的とする財団法人が設けられるなど,地元にとって,本件神社は重要な観光資源としての側面を有していたものであり,本件大祭は観光上重要な行事であったというべきである。奉賛会は,このような性質を有する行事としての本件大祭に係る諸事業の奉賛を目的とする団体であり,その事業自体が観光振興的な意義を相応に有するものであって,その発会に係る行事としての本件発会式も,本件神社内ではなく,市内の一般の施設で行われ,その式次第は一般的な団体設立の式典等におけるものと変わらず,宗教的儀式を伴うものではなかったものである。そして,Dはこのような本件発会式に来賓である地元の市長として招かれ,出席して祝辞を述べたものであるところ,その祝辞の内容が,一般の儀礼的な祝辞の範囲を超えて宗教的な意味合いを有するものであったともうかがわれない。

 そうすると,当時市長の職にあったDが本件発会式に出席して祝辞を述べた行為は,市長が地元の観光振興に尽力すべき立場にあり,本件発会式が上記のような観光振興的な意義を相応に有する事業の奉賛を目的とする団体の発会に係る行事であることも踏まえ,このような団体の主催する当該発会式に来賓として招かれたのに応じて,これに対する市長としての社会的儀礼を尽くす目的で行われたものであり,宗教的色彩を帯びない儀礼的行為の範囲にとどまる態様のものであって,特定の宗教に対する援助,助長,促進になるような効果を伴うものでもなかったというべきである。したがって,これらの諸事情を総合的に考慮すれば,Dの上記行為は,宗教とのかかわり合いの程度が,我が国の社会的,文化的諸条件に照らし,信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものとは認められず,憲法上の政教分離原則及びそれに基づく政教分離規定に違反するものではないと解するのが相当である。

 以上の点は,当裁判所大法廷判決(最高裁昭和46年(行ツ)第69号同52年7月13日判決・民集31巻4号533頁,最高裁平成4年(行ツ)第156号同9年4月2日判決・民集51巻4号1673頁,最高裁平成19年(行ツ)第260号同22年1月20日判決・民集64巻1号登載予定等)の趣旨に徴して明らかというべきである。

5 以上によれば,これと異なる原審の前記判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は理由があり,原判決のうち上告人の敗訴部分は破棄を免れない。そして,前記説示によれば,上記部分に関する被上告人の請求は理由がなく,これを棄却した第1審判決は正当であるから,上記部分につき被上告人の控訴を棄却すべきである。

百選52事件 市有地の神社無償提供事件(最大判平成22年1月20日)

 憲法89条は,公の財産を宗教上の組織又は団体の使用,便益若しくは維持のため,その利用に供してはならない旨を定めている。その趣旨は,国家が宗教的に中立であることを要求するいわゆる政教分離の原則を,公の財産の利用提供等の財政的な側面において徹底させるところにあり,これによって,憲法20条1項後段の規定する宗教団体に対する特権の付与の禁止を財政的側面からも確保し,信教の自由の保障を一層確実なものにしようとしたものである。しかし,国家と宗教とのかかわり合いには種々の形態があり,およそ国又は地方公共団体が宗教との一切の関係を持つことが許されないというものではなく,憲法89条も,公の財産の利用提供等における宗教とのかかわり合いが,我が国の社会的,文化的諸条件に照らし,信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものと認められる場合に,これを許さないとするものと解される。

 国又は地方公共団体が国公有地を無償で宗教的施設の敷地としての用に供する行為は,一般的には,当該宗教的施設を設置する宗教団体等に対する便宜の供与として,憲法89条との抵触が問題となる行為であるといわなければならない。もっとも,国公有地が無償で宗教的施設の敷地としての用に供されているといっても,当該施設の性格や来歴,無償提供に至る経緯,利用の態様等には様々なものがあり得ることが容易に想定されるところである。例えば,一般的には宗教的施設としての性格を有する施設であっても,同時に歴史的,文化財的な建造物として保護の対象となるものであったり,観光資源,国際親善,地域の親睦の場などといった他の意義を有していたりすることも少なくなく,それらの文化的あるいは社会的な価値や意義に着目して当該施設が国公有地に設置されている場合もあり得よう。また,我が国においては,明治初期以来,一定の社寺領を国等に上知(上地)させ,官有地に編入し,又は寄附により受け入れるなどの施策が広く採られたこともあって,国公有地が無償で社寺等の敷地として供される事例が多数生じた。このような事例については,戦後,国有地につき「社寺等に無償で貸し付けてある国有財産の処分に関する法律」(昭和22年法律第53号)が公布され,公有地についても同法と同様に譲与等の処分をすべきものとする内務文部次官通牒が発出された上,これらによる譲与の申請期間が経過した後も,譲与,売払い,貸付け等の措置が講じられてきたが,それにもかかわらず,現在に至っても,なおそのような措置を講ずることができないまま社寺等の敷地となっている国公有地が相当数残存していることがうかがわれるところである。これらの事情のいかんは,当該利用提供行為が,一般人の目から見て特定の宗教に対する援助等と評価されるか否かに影響するものと考えられるから,政教分離原則との関係を考えるに当たっても,重要な考慮要素とされるべきものといえよう。

 そうすると,国公有地が無償で宗教的施設の敷地としての用に供されている状態が,前記の見地から,信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えて憲法89条に違反するか否かを判断するに当たっては,当該宗教的施設の性格,当該土地が無償で当該施設の敷地としての用に供されるに至った経緯,当該無償提供の態様,これらに対する一般人の評価等,諸般の事情を考慮し,社会通念に照らして総合的に判断すべきものと解するのが相当である。

 以上のように解すべきことは,当裁判所の判例最高裁昭和46年(行ツ)第69号同52年7月13日大法廷判決・民集31巻4号533頁,最高裁平成4年(行ツ)第156号同9年4月2日大法廷判決・民集51巻4号1673頁等)の趣旨とするところからも明らかである。

2 本件利用提供行為の憲法適合性

 (1) 前記事実関係等によれば,本件鳥居,地神宮,「神社」と表示された会館入口から祠に至る本件神社物件は,一体として神道の神社施設に当たるものと見るほかはない。

 また,本件神社において行われている諸行事は,地域の伝統的行事として親睦などの意義を有するとしても,神道の方式にのっとって行われているその態様にかんがみると,宗教的な意義の希薄な,単なる世俗的行事にすぎないということはできない。

 このように,本件神社物件は,神社神道のための施設であり,その行事も,このような施設の性格に沿って宗教的行事として行われているものということができる。

 (2) 本件神社物件を管理し,上記のような祭事を行っているのは,本件利用提供行為の直接の相手方である本件町内会ではなく,本件氏子集団である。本件氏子集団は,前記のとおり,町内会に包摂される団体ではあるものの,町内会とは別に社会的に実在しているものと認められる。そして,この氏子集団は,宗教的行事等を行うことを主たる目的としている宗教団体であって,寄附を集めて本件神社の祭事を行っており,憲法89条にいう「宗教上の組織若しくは団体」に当たるものと解される。

 しかし,本件氏子集団は,祭事に伴う建物使用の対価を町内会に支払うほかは,本件神社物件の設置に通常必要とされる対価を何ら支払うことなく,その設置に伴う便益を享受している。すなわち,本件利用提供行為は,その直接の効果として,氏子集団が神社を利用した宗教的活動を行うことを容易にしているものということができる。

 (3) そうすると,本件利用提供行為は,市が,何らの対価を得ることなく本件各土地上に宗教的施設を設置させ,本件氏子集団においてこれを利用して宗教的活動を行うことを容易にさせているものといわざるを得ず,一般人の目から見て,市が特定の宗教に対して特別の便益を提供し,これを援助していると評価されてもやむを得ないものである。前記事実関係等によれば,本件利用提供行為は,もともとは小学校敷地の拡張に協力した用地提供者に報いるという世俗的,公共的な目的から始まったもので,本件神社を特別に保護,援助するという目的によるものではなかったことが認められるものの,明らかな宗教的施設といわざるを得ない本件神社物件の性格,これに対し長期間にわたり継続的に便益を提供し続けていることなどの本件利用提供行為の具体的態様等にかんがみると,本件において,当初の動機,目的は上記評価を左右するものではない。

 (4) 以上のような事情を考慮し,社会通念に照らして総合的に判断すると,本件利用提供行為は,市と本件神社ないし神道とのかかわり合いが,我が国の社会的,文化的諸条件に照らし,信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものとして,憲法89条の禁止する公の財産の利用提供に当たり,ひいては憲法20条1項後段の禁止する宗教団体に対する特権の付与にも該当すると解するのが相当である。

第3 職権による検討

1 本件は,被上告人らが地方自治法242条の2第1項3号に基づいて提起した住民訴訟であり,被上告人らは,前記のとおり政教分離原則との関係で問題とされざるを得ない状態となっている本件各土地について,上告人がそのような状態を解消するため使用貸借契約を解除し,神社施設の撤去を求める措置を執らないことが財産管理上違法であると主張する。

2 本件利用提供行為の現状が違憲であることは既に述べたとおりである。しかしながら,これを違憲とする理由は,判示のような施設の下に一定の行事を行っている本件氏子集団に対し,長期にわたって無償で土地を提供していることによるものであって,このような違憲状態の解消には,神社施設を撤去し土地を明け渡す以外にも適切な手段があり得るというべきである。例えば,戦前に国公有に帰した多くの社寺境内地について戦後に行われた処分等と同様に,本件土地1及び2の全部又は一部を譲与し,有償で譲渡し,又は適正な時価で貸し付ける等の方法によっても上記の違憲性を解消することができる。そして,上告人には,本件各土地,本件建物及び本件神社物件の現況,違憲性を解消するための措置が利用者に与える影響,関係者の意向,実行の難易等,諸般の事情を考慮に入れて,相当と認められる方法を選択する裁量権があると解される。本件利用提供行為に至った事情は,それが違憲であることを否定するような事情として評価することまではできないとしても,解消手段の選択においては十分に考慮されるべきであろう。本件利用提供行為が開始された経緯や本件氏子集団による本件神社物件を利用した祭事がごく平穏な態様で行われてきていること等を考慮すると,上告人において直接的な手段に訴えて直ちに本件神社物件を撤去させるべきものとすることは,神社敷地として使用することを前提に土地を借り受けている本件町内会の信頼を害するのみならず,地域住民らによって守り伝えられてきた宗教的活動を著しく困難なものにし,氏子集団の構成員の信教の自由に重大な不利益を及ぼすものとなることは自明であるといわざるを得ない。さらに,上記の他の手段のうちには,市議会の議決を要件とするものなども含まれているが,そのような議決が適法に得られる見込みの有無も考慮する必要がある。これらの事情に照らし,上告人において他に選択することのできる合理的で現実的な手段が存在する場合には,上告人が本件神社物件の撤去及び土地明渡請求という手段を講じていないことは,財産管理上直ちに違法との評価を受けるものではない。すなわち,それが違法とされるのは,上記のような他の手段の存在を考慮しても,なお上告人において上記撤去及び土地明渡請求をしないことが上告人の財産管理上の裁量権を逸脱又は濫用するものと評価される場合に限られるものと解するのが相当である。

3 本件において,当事者は,上記のような観点から,本件利用提供行為の違憲性を解消するための他の手段が存在するか否かに関する主張をしておらず,原審も当事者に対してそのような手段の有無に関し釈明権を行使した形跡はうかがわれない。しかし,本件利用提供行為の違憲性を解消するための他の手段があり得ることは,当事者の主張の有無にかかわらず明らかというべきである。また,原審は,本件と併行して,本件と当事者がほぼ共通する市内の別の神社(T神社)をめぐる住民訴訟を審理しており,同訴訟においては,市有地上に神社施設が存在する状態を解消するため,市が,神社敷地として無償で使用させていた市有地を町内会に譲与したことの憲法適合性が争われていたところ,第1,2審とも,それを合憲と判断し,当裁判所もそれを合憲と判断するものである(最高裁平成19年(行ツ)第334号)。原審は,上記訴訟の審理を通じて,本件においてもそのような他の手段が存在する可能性があり,上告人がこうした手段を講ずる場合があることを職務上知っていたものである。

 そうすると,原審が上告人において本件神社物件の撤去及び土地明渡請求をすることを怠る事実を違法と判断する以上は,原審において,本件利用提供行為の違憲性を解消するための他の合理的で現実的な手段が存在するか否かについて適切に審理判断するか,当事者に対して釈明権を行使する必要があったというべきである。

 原審が,この点につき何ら審理判断せず,上記釈明権を行使することもないまま,上記の怠る事実を違法と判断したことには,怠る事実の適否に関する審理を尽くさなかった結果,法令の解釈適用を誤ったか,釈明権の行使を怠った違法があるものというほかない。

第4 結論

 以上によれば,本件利用提供行為を違憲とした原審の判断は是認することができるが,上告人が本件神社物件の撤去請求をすることを怠る事実を違法とした判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。そこで,原判決を職権で破棄し,本件利用提供行為の違憲性を解消するための他の手段の存否等について更に審理を尽くさせるため,本件を原審に差し戻すこととする。

 よって,裁判官今井功,同堀籠幸男の反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官藤田宙靖,同田原睦夫,同近藤崇晴の各補足意見,裁判官甲斐中辰夫,同中川了滋,同古田佑紀,同竹内行夫の意見がある。

 

裁判官藤田宙靖の補足意見は,次のとおりである。

 私は,多数意見に賛成するが,本件利用提供行為が政教分離原則に違反すると考

えられることにつき,以下若干の補足をしておくこととしたい。

1 国又は公共団体が宗教に関係する何らかの活動(不作為をも含む。)をする場合に,それが日本国憲法の定める政教分離原則に違反しないかどうかを判断するに際しての審査基準として,過去の当審判例が採用してきたのは,いわゆる目的効果基準であって,本件においてもこの事実を無視するわけには行かない。ただ,この基準の採用の是非及びその適用の仕方については,当審の従来の判例に反対する見解も学説中にはかなり根強く存在し,また,過去の当審判決においても一度ならず反対意見が述べられてきたところでもあるから,このことを踏まえた上で,現在の時点でこの問題をどう考えるかについては,改めて慎重な検討をしておかなければならない。

 この基準を採用することへの批判としては,周知のように,当審においてこの基準が最初に採用された「津地鎮祭訴訟判決」(最高裁昭和46年(行ツ)第69号同52年7月13日大法廷判決・民集31巻4号533頁)における5裁判官の反対意見と並,「愛媛玉串料訴訟判決」(最高裁平成4年(行ツ)第156号同9年4月2日大法廷判決・民集51巻4号1673頁)における高橋,尾崎両裁判官の意見がある。とりわけ,尾崎意見における指摘,すなわち,日本国憲法政教分離規定の趣旨につき津地鎮祭訴訟判決において多数意見が出発点とした「憲法は,信教の自由を無条件に保障し,更にその保障を一層確実なものとするため,政教分離規定を設けたものであり,これを設けるに当たっては,国家と宗教との完全な分離を理想とし,国家の非宗教性ないし宗教的中立性を確保しようとしたものである」という考え方を前提とすれば,「国家と宗教との完全分離を原則とし,完全分離が不可能であり,かつ,分離に固執すると不合理な結果を招く場合に限って,例外的に国家と宗教とのかかわり合いが憲法上許容されるとすべきもの」と考えられる,という指摘については,私もまた,これが本来筋の通った理論的帰結であると考える。これに対して,これまでの当審判例の多数意見が採用してきた上記の目的効果基準によれば,憲法上の政教分離原則は「国家が宗教とのかかわり合いを持つことを全く許さないとするものではなく,宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的及び効果に鑑み,そのかかわり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超える場合に(初めて)これを許さないとするもの」であるということになるが(括弧内は藤田による補足),このように,いわば原則と例外を逆転させたかにも見える結論を導くについて,従来の多数意見は必ずしも充分な説明をしておらず,そこには論理の飛躍がある,という上記の尾崎意見の指摘には,首肯できるものがあるように思われる。

 ただ,目的効果基準の採用に対するこのような反対意見にあっても,国家と宗教の完全な分離に対する例外が許容されること自体が全く否定されるものではないのであり,また,これらの見解において例外が認められる「完全分離が不可能であり,かつ分離に固執すると不合理な結果を招く場合」に当たるか否かを検討するに際して,目的・効果についての考慮を全くせずして最終的判断を下せるともいい切れないように思われるのであって,問題は結局のところ,「そのかかわり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超える」か否かの判断に際しての「国家の宗教的中立性」の評価に関する基本的姿勢ないし出発点の如何に懸ることになるともいうことができよう。このように考えるならば,仮に,理論的には上記意見に理由があると考えるとしても,本件において,敢えて目的効果基準の採用それ自体に対しこれを全面的に否定するまでの必要は無いものと考える。但し,ここにいう目的効果基準の具体的な内容あるいはその適用の在り方については,慎重な配慮が必要なのであって,当該事案の内容を十分比較検討することなく,過去における当審判例上の文言を金科玉条として引用し,機械的に結論を導くようなことをしてはならない。こういった見地から,本件において注意しなければならないのは,例えば以下のような点である。

2 本件において合憲性が問われているのは,多数意見にも述べられているように,取り立てて宗教外の意義を持つものではない純粋の神道施設につき,地方公共団体が公有地を単純にその敷地として提供しているという事実である。私の見るところ,過去の当審判例上,目的効果基準が機能せしめられてきたのは,問題となる行為等においていわば「宗教性」と「世俗性」とが同居しておりその優劣が微妙であるときに,そのどちらを重視するかの決定に際してであって(例えば,津地鎮祭訴訟,箕面忠魂碑訴訟等は,少なくとも多数意見の判断によれば,正にこのようなケースであった。),明確に宗教性のみを持った行為につき,更に,それが如何なる目的をもって行われたかが問われる場面においてではなかったということができる(例えば,公的な立場で寺社に参拝あるいは寄進をしながら,それは,専ら国家公安・国民の安全を願う目的によるものであって,当該宗教を特に優遇しようという趣旨からではないから,憲法にいう「宗教的活動」ではない,というような弁明を行うことは,上記目的効果基準の下においても到底許されるものとはいえない。

 例えば愛媛玉串料訴訟判決は,このことを示すものであるともいえよう。)。本件の場合,原審判決及び多数意見が指摘するとおり,本件における神社施設は,これといった文化財や史跡等としての世俗的意義を有するものではなく,一義的に宗教施設(神道施設)であって,そこで行われる行事もまた宗教的な行事であることは明らかである(五穀豊穣等を祈るというのは,正に神事の目的それ自体であって,これをもって「世俗的目的」とすることは,すなわち「神道は宗教に非ず」というに等しい。)。従って,本件利用提供行為が専ら特定の純粋な宗教施設及び行事(要するに「神社」)を利する結果をもたらしていること自体は,これを否定することができないのであって,地鎮祭における起工式(津地鎮祭訴訟),忠魂碑の移設のための代替地貸与並びに慰霊祭への出席行為(箕面忠魂碑訴訟),さらには地蔵像の移設のための市有地提供行為等(大阪地蔵像訴訟)とは,状況が明らかに異なるといわなければならない(これらのケースにおいては,少なくとも多数説は,地鎮祭,忠魂碑,地蔵像等の純粋な宗教性を否定し,何らかの意味での世俗性を認めることから,それぞれ合憲判断をしたものである。)。その意味においては,本件における憲法問題は,本来,目的効果基準の適用の可否が問われる以前の問題であるというべきである。

3 もっとも,原審認定事実等によれば,本件神社は,それ自体としては明らかに純粋な神道施設であると認められるものの,他方において,その外観,日々の宗教的活動の態様等からして,さほど宗教施設としての存在感の大きいものであるわけではなく,それゆえにこそ,市においてもまた,さして憲法上の疑義を抱くこともなく本件利用提供行為を続けてきたのであるし,また,被上告人らが問題提起をするまでは,他の市民の間において殊更にその違憲性が問題視されることも無かった,というのが実態であったようにもうかがわれる。従って,仮にこの点を重視するならば,少なくとも,本件利用提供行為が,直ちに他の宗教あるいはその信者らに対する圧迫ないし脅威となるとまではいえず(現に,例えば,本件氏子集団の役員らはいずれも仏教徒であることが認定されている。),これをもって敢えて憲法違反を問うまでのことはないのではないかという疑問も抱かれ得るところであろう。そして,全国において少なからず存在すると考えられる公有地上の神社施設につき,かなりの数のものは,正にこれと類似した状況にあるのではないか,とも推測されるのである。このように,本件における固有の問題は,一義的に特定の宗教のための施設であれば(すなわち問題とすべき「世俗性」が認められない以上)地域におけるその存在感がさして大きなものではない(あるいはむしろ希薄ですらある)ような場合であっても,そのような施設に対して行われる地方公共団体の土地利用提供行為をもって,当然に憲法89条違反といい得るか,という点にあるというべきであろう。

 ところで,上記のような状況は,その教義上排他性の比較的希薄な伝統的神道の特色及び宗教意識の比較的薄い国民性等によってもたらされている面が強いように思われるが,いうまでもなく,政教分離の問題は,対象となる宗教の教義の内容如何とは明確に区別されるべき問題であるし,また,ある宗教を信じあるいは受容している国民の数ないし割合が多いか否かが政教分離の問題と結び付けられるべきものではないことも,明らかであるといわなければならない。憲法89条が,過去の我が国における国家神道下で他宗教が弾圧された現実の体験に鑑み,個々人の信教の自由の保障を全うするため政教分離を制度的に(制度として)保障したとされる趣旨及び経緯を考えるとき,同条の定める政教分離原則に違反するか否かの問題は,必ずしも,問題とされている行為によって個々人の信教の自由が現実に侵害されているか否かの事実によってのみ判断されるべきものではないのであって,多数意見が本件利用提供行為につき「一般人の目から見て,市が特定の宗教に対して特別の便益を提供し,これを援助していると評価されてもやむを得ないものである」と述べるのは,このような意味において正当というべきである。

4 なお,本件において違憲性が問われているのは,直接には,市が公有地上にある本件神社施設を撤去しないという不作為についてである(当初市が神社施設の存する本件土地を取得したこと自体が違憲であるというならば,その行為自体が無効であって,そもそも本件土地は公有地とは認められないということにもなりかねないが,被上告人原告)らはこのような主張をするものではない。)。この場合,その不作為を直ちに解消することが期待し得ないような特別の事情(例えば,施設の撤去自体が他方で信教の自由に極めて重大な打撃を与える結果となることが見込まれるとか,敷地の民有化に向け可能な限りの努力をしてきたものの,歴史的経緯等種々の原因から未だ成功していない等々の事情が考えられようか。)がある場合に,現に公有地上に神社施設が存在するという事実が残っていること自体をもって直ちに違憲というべきか否かは,なお検討の余地がある問題であるといえなくはなかろう。しかし,本件において,上告人(被告)はこのような特別の事情の存在については一切主張・立証するところがなく,むしろ,そういった事情の存在の有無を問うまでもなく本件利用提供行為は合憲であるとの前提に立っていることは明らかであるから,この点については,原審の釈明義務違反を問うまでもなく,多数意見のように,本件利用提供行為が憲法89条に違反すると判断されるのもやむを得ないところといわなければならない。

 

 

Nシステム(東京高判平成21年1月29日)

 控訴人らは,技術の常識からも,Nシステムの目的からも,一部又は全部の車両について画像の保存がされていることは明らかであると主張する。

 しかしながら,これらは明確な裏付けを欠く憶測にすぎず,控訴人ら主張の事実を認めるに足りる証拠はない。

 ア 控訴人らは,Nシステムによる情報収集の真の目的を検討しなければ,目的の正当性は判断できないと主張するが,その真の目的について具体的に主張するところはない。Nシステム等の情報収集の目的が自動車使用犯罪の犯人の検挙等犯罪捜査の必要及び犯罪被害の早期回復にあると認められることは,上記引用の原判決の示すとおりであって,他に真の目的があることを認めるに足りる証拠はない

 ウ 控訴人らは,情報流出事故があったことを理由に,Nシステム等によって取得された情報の管理方法がずさんであると主張する。しかし,Nシステム等によって取得,保有,利用された情報の安全管理及び利用状況が適正にされていることは,上記引用の原判決の示すとおりである。確かに通過車両データが流出した事例があったことも原判決の示すとおりであり,そのような事態が生じないように,なお万全を期すことが求められるところであるが,上記事例が生じたことをもって管理方法それ自体に不備があるということはできないし,これを受けて更に管理を徹底する措置が執られたことは,公知の事実である上,控訴人らのデータが上記事例において流出したとは認められないのであるから,控訴人らの権利が侵害されたということはできない

 もっとも,ドイツ憲法裁判決は,そのような公権力の行使は法律の定めに基づくことを要するとしていると理解されるが,我が国においては,警察は,警察法2条1項の規定により,強制力を伴わない限り犯罪捜査に必要な諸活動を行うことが許されていると解されるのであり,上記のような態様で公道上において何人でも確認し得る車両データを収集し,これを利用することは,適法に行い得るというべきである最高裁昭和55年9月22日第三小法廷決定・刑集34巻5号272頁等参照)。

21事件 住基ネット(最一判平成20年3月6日)

(1) 憲法13条は,国民の私生活上の自由が公権力の行使に対しても保護されるべきことを規定しているものであり,個人の私生活上の自由の一つとして,何人も,個人に関する情報をみだりに第三者に開示又は公表されない自由を有するものと解される(最高裁昭和40年(あ)第1187号同44年12月24日大法廷判決・刑集23巻12号1625頁参照)。

 そこで,住基ネットが被上告人らの上記の自由を侵害するものであるか否かについて検討するに,住基ネットによって管理,利用等される本人確認情報は,氏名,生年月日,性別及び住所から成る4情報に,住民票コード及び変更情報を加えたものにすぎない。このうち4情報は,人が社会生活を営む上で一定の範囲の他者には当然開示されることが予定されている個人識別情報であり,変更情報も,転入,転出等の異動事由,異動年月日及び異動前の本人確認情報にとどまるもので,これらはいずれも,個人の内面に関わるような秘匿性の高い情報とはいえない。これらの情報は,住基ネットが導入される以前から,住民票の記載事項として,住民基本台帳を保管する各市町村において管理,利用等されるとともに,法令に基づき必要に応じて他の行政機関等に提供され,その事務処理に利用されてきたものである。そして,住民票コードは,住基ネットによる本人確認情報の管理,利用等を目的として,都道府県知事が無作為に指定した数列の中から市町村長が一を選んで各人に割り当てたものであるから,上記目的に利用される限りにおいては,その秘匿性の程度は本人確認情報と異なるものではない

 また,前記確定事実によれば,住基ネットによる本人確認情報の管理,利用等は,法令等の根拠に基づき,住民サービスの向上及び行政事務の効率化という正当な行政目的の範囲内で行われているものということができる。住基ネットシステム上の欠陥等により外部から不当にアクセスされるなどして本人確認情報が容易に漏えいする具体的な危険はないこと,受領者による本人確認情報の目的外利用又は本人確認情報に関する秘密の漏えい等は,懲戒処分又は刑罰をもって禁止されていること,住基法は,都道府県に本人確認情報の保護に関する審議会を,指定情報処理機関に本人確認情報保護委員会を設置することとして,本人確認情報の適切な取扱いを担保するための制度的措置を講じていることなどに照らせば,住基ネットにシステム技術上又は法制度上の不備があり,そのために本人確認情報が法令等の根拠に基づかずに又は正当な行政目的の範囲を逸脱して第三者に開示又は公表される具体的な危険が生じているということもできない

 なお,原審は,① 行政個人情報保護法によれば,行政機関の裁量により利用目的を変更して個人情報を保有することが許容されているし,行政機関は,法令に定める事務等の遂行に必要な限度で,かつ,相当の理由のあるときは,利用目的以外の目的のために保有個人情報を利用し又は提供することができるから,行政機関が同法の規定に基づき利用目的以外の目的のために保有個人情報を利用し又は提供する場合には,本人確認情報の目的外利用を制限する住基法30条の34に違反することにならないので,同法による目的外利用の制限は実効性がないこと,② 住民が住基カードを用いて行政サービスを受けた場合,行政機関のコンピュータに残った記録を住民票コードで名寄せすることが可能であることなどを根拠として,住基ネットにより,個々の住民の多くのプライバシー情報が住民票コードを付されてデータマッチングされ,本人の予期しないときに予期しない範囲で行政機関に保有され,利用される具体的な危険が生じていると判示する。しかし,上記①については,行政個人情報保護法は,行政機関における個人情報一般についてその取扱いに関する基本的事項を定めるものであるのに対し,住基法30条の34等の本人確認情報の保護規定は,個人情報のうち住基ネットにより管理,利用等される本人確認情報につきその保護措置を講ずるために特に設けられた規定であるから,本人確認情報については,住基法中の保護規定が行政個人情報保護法の規定に優先して適用されると解すべきであって,住基法による目的外利用の禁止に実効性がないとの原審の判断は,その前提を誤るものである。また,上記②については,システム上,住基カード内に記録された住民票コード等の本人確認情報が行政サービスを提供した行政機関のコンピュータに残る仕組みになっているというような事情はうかがわれない。上記のとおり,データマッチングは本人確認情報の目的外利用に当たり,それ自体が懲戒処分の対象となるほか,データマッチングを行う目的で個人の秘密に属する事項が記録された文書等を収集する行為は刑罰の対象となり,さらに,秘密に属する個人情報を保有する行政機関の職員等が,正当な理由なくこれを他の行政機関等に提供してデータマッチングを可能にするような行為も刑罰をもって禁止されていること,現行法上,本人確認情報の提供が認められている行政事務において取り扱われる個人情報を一元的に管理することができる機関又は主体は存在しないことなどにも照らせば,住基ネットの運用によって原審がいうような具体的な危険が生じているということはできない。   (2) そうすると,行政機関が住基ネットにより住民である被上告人らの本人確認情報を管理,利用等する行為は,個人に関する情報をみだりに第三者に開示又は公表するものということはできず,当該個人がこれに同意していないとしても,憲法13条により保障された上記の自由を侵害するものではないと解するのが相当である。また,以上に述べたところからすれば,住基ネットにより被上告人らの本人確認情報が管理,利用等されることによって,自己のプライバシーに関わる情報の取扱いについて自己決定する権利ないし利益が違法に侵害されたとする被上告人らの主張にも理由がないものというべきである。以上は,前記大法廷判決の趣旨に徴して明らかである。

防犯カメラとプライバシー権(名古屋高判平成17年3月30日)

 

 しかしながら,憲法基本的人権規定は私人相互の関係を直接規律するものではなく,私的自治に関する一般的制限規定である民法1条,90条や不法行為に関する諸規定等の適用によって間接的に私人間にその趣旨を及ぼすものと解するのが相当であるから,憲法13条による肖像権やプライバシーの保護とコンビニエンスストアーにおける防犯ビデオカメラの撮影,録画との関係も,上記のような私的自治に関する一般的制限規定の問題として考えるべきである。

 そこで,コンビニエンスストアーにおける防犯ビデオカメラの撮影,録画の違法性を上記のような私的自治に関する一般的制限規定の問題として考えると,まず,客の側についていえば,コンビニエンスストアー内で客がとる通常の行動は商品を選んで購入することとそれに付随する行動であって,さほど秘密性の高いものとはいえないし,店員が配備され不特定多数の客が出入りするコンビニエンスストアーにおいては個々の客の容貌や行動は既に人目に触れる状態に置かれているのであるから,そのような場所での肖像権やプライバシー権の保護が住居等の個人的領域における肖像権やプライバシー権の保護よりも相対的に薄くなることもやむを得ないことであり,他方,コンビニエンスストアーの側についていえば,コンビニエンスストアーの経営者は前記(原判決「事実及び理由」欄第3の1(2))のような状況の下で,来店した客や従業員等の生命,身体の安全を確保し,また,自らの財産を守らなければならないのであるから,それ相当の措置を講ずる必要があるものというべきであり,このような双方の利益状況に加えて,コンビニエンスストアーへの来店は任意になされるものであって,店内に設置された防犯ビデオカメラによる撮影,録画には強制的な要素が存在しないことも考え併せれば,コンビニエンスストアーにおける防犯ビデオカメラの撮影,録画の違法性は,前記(原判決11頁24行目から26行目まで)のとおり目的の相当性,必要性,方法の相当性等を考慮して判断するのが相当と解すべきであり,控訴人のいうように,コンビニエンスストアーにおける防犯ビデオカメラの撮影,録画はプライバシーの権利を侵害するものであって,その違法性が阻却されるか否かは厳密に吟味されなければならないとして,予防目的でのテレビカメラによる録画は特段の事情のない限り許されないと解さなければならない理由はない。

 そして,前記(原判決「事実及び理由」欄第3の1(2)ないし(7))のとおり,本件コンビニにおける防犯ビデオカメラによる店内の撮影,録画には,目的の相当性,必要性,方法の相当性が認められるのであるから,控訴人の前記指摘は採用できない(なお,控訴人の「特別警戒中 ビデオ画像電送システム稼働中」との掲示についての解釈は独自の解釈であって採用できないし,目的外使用をしないという意識も持っていない等の被控訴人の態度は,仮にそのような面があったとしても,それがただちに防犯ビデオカメラの撮影,録画の違法性に結びつくものではない。)」

「(1)前記(原判決3頁16行目から18行目まで)のとおり,控訴人は,撮影後1週間,来店した客の容貌や行動が録画されたビデオテープを保管しているのであるから,その間,ビデオテープに写っている客に対して,その肖像権やプライバシー権が侵害されることのないよう当該ビデオテープを管理する義務を負うものというべきであり,したがって,上記ビデオテープを第三者に提供したときには,そのことによって当該ビデオテープに写っている客に対する上記管理義務違反の不法行為が成立する可能性はある

 ただ,本件コンビニにおける防犯ビデオカメラによる店内の撮影,録画は,本件コンビニ内で発生する可能性のある万引き及び強盗等の犯罪並びに事故に対処する目的で行われるものであって,その目的が相当である以上,店内で発生した万引き,強盗等の犯罪や事故の捜査のために上記保管にかかるビデオテープを警察に提供することは,上記目的に含まれた行為の一環と見ることができ,特段の事情がない限り,当該犯罪を行った者や事故の当事者となった者に対する関係では勿論のこと,当該ビデオテープに写っているその他の客に対する関係でも違法となるものではない。  これに対して,同じく警察に対するビデオテープの提供であっても,本件コンビニ内で発生した万引き,強盗等の犯罪や事故の捜査とは別の犯罪や事故の捜査のためにこれが提供された場合には,もはやその行為を本件コンビニにおける防犯ビデオカメラによる店内の撮影,録画の目的に含まれるものと見ることはできず,当該ビデオテープに写っている客の肖像権やプライバシー権に対する侵害の違法性が問題になってくる。  そして,この場合,上記防犯ビデオカメラの撮影,録画の目的は,それに含まれる行為の適法性は推定させるが,それから外れる行為を違法とするまでの積極的効力を持つものではないというべきであるから,そのビデオテープの提供行為が当該ビデオテープに写っている客の肖像権やプライバシー権を侵害する違法なものとされるかどうかは,これが警察に提供されることになった経緯や当該ビデオテープに録画された客の行動等の具体的事情から個別的に判断されることになる。

(2)そこで,本件について見るに,本件において被控訴人は前記(原判決「事実及び理由」欄第2の2(4))のとおり本件コンビニ内で発生したものではない有印私文書偽造・同行使・旅館業法違反の犯罪捜査のために本件ビデオテープを公安三課に提供しているのであるが,その提供の経緯は前記(原判決「事実及び理由」欄第2の2(4))のとおりであって,捜査機関の適法な任意捜査に対する私人の協力行為として公益目的を有するものであり,他方,本件ビデオテープに録画されているのは前記(原判決「事実及び理由」欄第2の2(3))のとおり控訴人がFAX用紙及び菓子パンを購入している姿にすぎないものであることを考慮すると,被控訴人が本件ビデオテープを公安三課に提供したことに違法性はないというべきである。

百選35事件 国籍法3条1項違憲判決(最大判平成20年6月4日)

 (3) 以上によれば,本件区別については,これを生じさせた立法目的自体に合理的な根拠は認められるものの,立法目的との間における合理的関連性は,我が国の内外における社会的環境の変化等によって失われており,今日において,国籍法3条1項の規定は,日本国籍の取得につき合理性を欠いた過剰な要件を課するものとなっているというべきである。しかも,本件区別については,前記(2)エで説示した他の区別も存在しており,日本国民である父から出生後に認知されたにとどまる非嫡出子に対して,日本国籍の取得において著しく不利益な差別的取扱いを生じさせているといわざるを得ず,国籍取得の要件を定めるに当たって立法府に与えられた裁量権を考慮しても,この結果について,上記の立法目的との間において合理的関連性があるものということはもはやできない

  そうすると,本件区別は,遅くとも上告人らが法務大臣あてに国籍取得届を提出した当時には,立法府に与えられた裁量権を考慮してもなおその立法目的との間において合理的関連性を欠くものとなっていたと解される。

  したがって,上記時点において,本件区別は合理的な理由のない差別となっていたといわざるを得ず,国籍法3条1項の規定が本件区別を生じさせていることは,憲法14条1項に違反するものであったというべきである。 

 したがって,日本国民である父と日本国民でない母との間に出生し,父から出生後に認知された子は,父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得したという部分を除いた国籍法3条1項所定の要件が満たされるときは,同項に基づいて日本国籍を取得することが認められるというべきである。